この熱き人々

2013年2月14日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 「うーん。何もかもわかっていることって楽しくないじゃない。何が起きるかわからないから面白い。山や自然には想定内は存在しない。それをいかに多方面、多次元、多重に想像することで想定内と言われるところまでもってこられるか。登山は想像のスポーツだと思うんです。いかに人よりも多く、深く、早く想像できるか。例えば誰も登ったことのないルートを登ろうとしたら、誰と登ろうか、どういう方法を使おうかと想像し、山の中に身を置いたら、自分が登れるであろうという想像、登れないだろうという想像、もしかしたら死んでしまうかもしれないという想像、その時、どういう風に死んでいるかという想像をする。そうすることで、それを避けようとする想像もできる。山とも、自分とも、パートナーともせめぎ合い、競い合っていくのが面白いんです。雪があって、斜面があったら、雪崩は起きる。雪崩に遭わない方法は山に行かないことしかない。私たちは、雪崩れるかもしれないと思ってそこに立ち入って、雪崩をかわすこ とで頂上に行こうとしているわけだから」

奇跡の生還

 07年、竹内自身、まさに日本にとっては鬼門の10座目のガッシャーブルム2峰で、雪崩に遭い300メートル流され、背骨の破裂骨折、肺が潰れ、肋骨5本骨折という瀕死の遭難事故を経験している。300メートルといえば東京タワーのてっぺんから落ちるようなもの。生還が奇跡のような大事故で、この時、一緒に登っていた2人の仲間が命を落としている。

 竹内が自らをプロ登山家であると宣言をし、同時に14座登頂を目指すと明確な目標を初めて掲げたのは、その前年の06年である。

 「それまでは次の山、次の山と決めてきたけど、その先に14座という目標をもった。いつか登ろうという甘いことでは到底登れない。何年のうちに登ると覚悟しないと登れない。プロというのは、覚悟があるかないかだと思いました。登山家とは言われるけど、“家”の意味がよくわからない。評論家、画家、作家、政治家、冒険家、書道家……思いつく限りの○○家を紙に書き出して、共通しているのは自称が可能なことだと気がつきました。自称は途中で辞めてもい い。自分を何と名乗ろうかと思った時、必ず14座を登りきるという覚悟をプロという言葉に込めました」

 プロの覚悟を定めた翌年にガッシャーブルムでの大事故に見舞われたわけだが、その覚悟に揺るぎはなかったという。だから、治療法も再び山に登れる可能性に賭けて最先端手術を迷いなく選んだ。そして、1年後に同じガッシャーブルム2峰に挑んでいる。事故の記憶が生々しい山は後回しにすることもできたのに、あえて同じ山に同じルートで登る。

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