山師の手帳~“いちびり”が日本を救う~

2013年3月5日

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 年が明けてミャンマーに出張した。今年のミャンマー動向を見定めるのが目的である。当社ではミャンマーの民主化が本格化する前(2008年)から北東部シャン州でレアメタルの開発を始めた。当時は軍事政権の締め付けが厳しく、現地人に変装してシャン州の採掘現場まで潜入し、開発に当たった。鉱石の現物を確認した上で輸送設備や採掘設備などの総額5000万円の先行投資を行った。

首長族の女性と一緒にカメラに収まる筆者。日本企業の進出は気長に待つしかない・・・・・・。
(提供:筆者)

 中国からのアンチモンの供給が滞っていたので新規ソースの開発が不可欠であったからだ。世界のアンチモンの8割は中国が独占しており、ミャンマー北部の資源も少数民族が中国に密輸をしているという噂もよく聞いた。ミャンマーの問題は雨期に入ってからの輸送だった。山岳地帯の交通網が遮断されていて貨物が輸送できなかったのである。やはりミャンマーの問題はインフラ整備である。あまりにも安易に進めたためにアンチモン資源の開発輸入に4年間もかかったのである。

 その時に、日本陸軍が大失敗をしたインパール作戦の戦史を読んで慄然とした。インパール作戦の目的は英米の援蒋ルート(中国国民党への物資供給ルート)を断ち切ることであったが、補給線を軽視した第15軍司令官牟田口廉也陸軍中将による史上稀な杜撰で稚拙な作戦によって、歴史的な敗北を喫し、最終的に投入された兵力8万6000人に対し帰還時の兵力は僅か1万2000人に減少したと聞く。

 大本営が退却命令を出した1944年7月10日は、時すでに雨期に入っていた。日本軍の、ぬかるみの中飢えとマラリアによる寒気と英印軍の追撃に苦しみながらの退却は凄惨をきわめた。

 今は産業インフラ道路が続々と開発中である。中国へのガスパイプラインが建設されるほか、バンコクからベトナムに抜ける東西ハイウエイルートも建設中である。

 一方、日本のミャンマー進出ではヤンゴンの南16キロに建設中のティラワ経済特区(2400ヘクタール)に商社連合で住商、丸紅、三菱商事が進出している。また、スズキも現地生産の再開が本決まりとなった。このティラワからタイの国境を抜けるミャワディが将来は物流の拠点になる。

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