山師の手帳~“いちびり”が日本を救う~

2013年4月1日

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 2月、家族参加で行う恒例の社員研修で、タイのプーケットに行ったが、今年は少し寂しい旅行になった。

筆者が水沢氏を供養したシュエダゴン・パゴダの末寺 (撮影:筆者)

 「妻には申し訳ない」と、呟いた水沢秀夫君の言葉を思い出した。彼は自分がそうは長く生きていられないのを知っていたのだろうか。水沢君は会社の同期で、新会社を設立した時の戦友でもある。彼の先妻は看護師だったが40代の若さで子宮がんを患い亡くなった。忙しくてがん検診を受けなかった先妻に対して(医者の不養生と同じく)がん検診を軽くみたと非難していた。

 先妻が他界して、成人式を終えた一人娘から「お父さん、再婚してもいいのよ」と言われても「お前が結婚するまで再婚はできないよ」と応える心優しい父親でもあった。そして、一人娘の結婚が決まって次の年に連れ合いになる人が現れた。先妻を亡くして10年を経てやっと再婚することを決心したのだ。

 仕事も順調だし何から何まで上手く行っているように見えた。2年前、社員旅行で奥さんをハワイに連れてきて我々はおのろけ話を聞かされた。相手の女性は50代の初婚の方で心根の優しい人だった。

 だが、新しい連れ合いとの幸せな生活は長くは続かなかった。再婚してから1年目に前立腺がんがみつかったのだ。しかもリンパに転移していた。

 医者は彼を見放したが、奥さんの協力であらゆる治療法を試した。中には疑問視される民間療法もあったが、本人にとっては藁にもすがる思いで生きることに執着した。ともかく、絶対がんに打ち勝つという執念は人一倍強く、病魔と闘っている気迫を感じた。

 時に会社に来るのに奥さんが同行することもあった。日毎に痩せてゆく彼の姿を見ているのも辛かったが、会社に出てくることが彼の生き甲斐だったので温かく見守った。その時も本人は「65歳まで頑張らないと年金が入りませんからね」などと冗談を言って周りを笑わせていた。

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