チャイナ・ウォッチャーの視点

2013年3月25日

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平野 聡 (ひらの・さとし)

東京大学大学院法学政治学研究科教授

1970年、神奈川県生まれ。東京大学法学部卒業。東京大学法学部教授。アジア政治外交史担当。著書に『大新帝国と中華の混迷(興亡の世界史17)』(講談社)、サントリー学芸賞を受賞した『清帝国とチベット問題 多民族統合の成立と瓦解』(名古屋大学出版会)がある。

 筆者の管見では、少なくとも1980年代に改革開放が本格化して以来、「経済発展は中国の生存にとって欠かせず、その過程では既存の経済大国と同様に環境問題が発生するのは避けられない。とはいえ、発展が環境を過度に破壊し、生存そのものを危うくする事態は避けなければならない」という議論は一貫して存在してきた。

 未来の中国の発展を環境重視型とするのは当然の社会的コンセンサスであるとして、問題は一体いつそのような方向に舵を切るのかということである。「産業昇級(高度化)」を待って初めて対策に力を入れるとすれば、その段階に達するまで引き続き「発展」の美名のために多くの人命を危機に晒し、子々孫々の中国の環境にさらなる負荷をかけることを意味する。したがって「産業昇級→環境改善」モデルはむしろ、現在進行形で旨味を吸っている党官僚や環境汚染企業の利権と一体なのではないか、という疑問に直結しうる。

 昨年の7月、長江を挟んだ上海の目と鼻の先、江蘇省啓東市で発生した暴動は、人々のこのような疑心暗鬼の下で起こった。既に多くの報道がなされた通り、この事件では地元民が政府庁舎を襲撃のうえ高価な酒瓶を片っ端から叩き割り、党・政府官僚の贅沢三昧を暴き出して衝撃を与えた。その背景にあるのは、王子製紙の工場排水パイプライン建設によって一大漁場の環境が悪化するという強い懸念に加え、計画を認めた党・政府官僚が多大な便宜を王子製紙から受けて腐敗しきっているという不満である。事件に際し大量に散布され、ネットにも流布した煽動ビラには、「我々は反日ではない」と断ったうえで「環境先進国の日本が何故我々に環境破壊をもたらすのか?」という批判も盛り込まれていたが、それ以上に党・政府官僚は《民意》を無視し、独断と汚職に染まっているのではないかという強烈な不満が充満していた。高級幹部が身ぐるみを剥がされ、代わりにパイプライン計画反対Tシャツを着用のうえ自己批判を強いられた光景は、文化大革命の再来に他ならない。

中国の環境問題が深刻な抗議行動に転化する背景

 中国の環境問題がこのように、しばしば深刻な抗議行動(群体性事件)に転化する背景は極めて簡単、ひとえに共産党への批判が許されないためである。

 少なくとも一定程度の言論の自由がある国において、権力者と企業の癒着に対する批判も最初は小さな烽火であり、しばしば排除されるかも知れないが、やがてそれが政治・社会的に共有され、改善に向けた作為が政府と企業に求められることで問題が緩和されて行く。日本における環境問題の嚆矢である足尾鉱毒事件も、田中正造翁の孤独な戦いがやがて解決・緩和の糸口となったことは広く知られているところだろう。

 しかし中国の場合、たとえ党中央・中央政府が環境問題を重視していようとも、経済発展という名の成績を稼いで「上」へ向かおうとする地方の党・政府幹部にとってはしばしば絵空事に過ぎない(勿論、全ての党・政府官僚が厚顔であるというわけではない)。様々な優遇措置で環境汚染企業を開発区に誘致し、見返りに企業から様々な賄賂を受ければ、党・政府官僚にとっての旨味は計り知れない。必要な土地は、国有制を錦の御旗として二束三文で収用すれば良い。それに異議を唱え、環境汚染に抗議する一般庶民は、この利権構造を乱すだけの存在に過ぎない。そこで不満は「社会の安定を乱す」という名の下に容赦なく処罰され、庶民が首都北京で捨て身の告発(上訪という)をしようものなら、黒道(やくざ)まがいの人物を使って殴打を加え、強引に連れ戻そうとする。

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