チャイナ・ウォッチャーの視点

2013年3月25日

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平野 聡 (ひらの・さとし)

東京大学大学院法学政治学研究科教授

1970年、神奈川県生まれ。東京大学法学部卒業。東京大学法学部教授。アジア政治外交史担当。著書に『大新帝国と中華の混迷(興亡の世界史17)』(講談社)、サントリー学芸賞を受賞した『清帝国とチベット問題 多民族統合の成立と瓦解』(名古屋大学出版会)がある。

 なお、悲惨極まりない境遇に置かれた庶民に比べ、メディアや研究者など「話語権」(相当の社会的影響力を伴った発言権)を持つ人々であれば、多少は環境問題の所在を公に訴えることが可能である。何故なら、一応共産党・政府も環境問題の重要性は認めているからである。しかし、議論を重ねれば必ず、《共産党の支配》が強権を以て異論を排除し、汚職の構造を再生産させているという問題に行き着く。それを論じればやはり「和諧」を乱しているとされ、処罰や発禁に遭う。

 筆者は以前、とある研究会にて、中国人の環境問題研究者が上述の問題を踏まえて「共産党の支配がある限り環境問題は絶対に解決しない」と結論し、会場の中国人が一様に深くうなずく場面に居合わせたことがある。そこで、極めて敏感な発言が今やエリートのみの閉鎖的な空間では可能であることに驚くと同時に、逆にこのような批判精神にあふれた議論が限られた空間でしか許されず、結局のところ環境問題の打開も先送りされざるを得ない現実に同情を禁じ得なかった。

中国ナショナリズムの屈折した対外観

 このような状況の下、環境問題をめぐっても日本を批判する議論がネット空間でくすぶり続ける可能性が高い。その萌芽こそ、昨年の啓東事件で見られた日本企業批判の論理、すなわち「日本企業は中国市場から莫大な利益を得る過程で各地の党・政府官僚と結託し、廉価で製品を生産するために環境破壊に荷担したのではないか」という発想に他ならない。

 そこで見え隠れするのは、中国ナショナリズムの屈折した対外観である。日本をはじめ諸外国は、中国がグローバリズムの勝者であると見なしがちであり、しかもそのような中国が既存の国際規範を顧みず、外国を一方的に批判し、剥き出しの力の論理で台頭するのを快く思わない。しかし、例えば『中国不高興(不愉快な中国)』に代表される強硬な中国ナショナリズムの系譜は、そのような批判に一切同意しない。むしろ「そもそも我々は外国企業が極めて低賃金で酷使するのに耐え、労務と市場の両面で外国に多大な利益をもたらした。それは外国が強く、我々は弱かったからである。しかし今や、外国との力関係は逆転した。長らく外国からの無理難題に耐えて来た我々は最早卑屈になる必要はない。今度は国際的な規範を我々が決め、我々が外国の批判を封じ込め逆批判する番である」というゼロサム・弱肉強食型思考を強調する。

 このようなナショナリズムがもし環境問題・党官僚の腐敗問題と結合するとすれば、日本側が期待するような「尖閣問題を脇に置いた、環境先進国である日本との協力」という図式に乗るはずがない。むしろ「過去における日本との安易な妥協=経済協力方式による対日戦後賠償請求の放棄は《中華民族の大義》に反している。日本の経済協力受け容れも、円借款による市場環境整備を通じて日本の安易な中国経済再侵略に手を貸した。日本企業と党・政府官僚の腐敗した関係も中国社会の不平等を加速させ、環境問題も深刻化させた」という論理が蔓延しかねない。そして、党中央・政府に対し、環境問題をめぐる日本との協力を阻止する言論を強めて行くことであろう。現にネット上の議論は、日本の協力を受け入れるか否かをめぐって割れている。

後篇に続く

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