研究と本とわたし

2013年5月2日

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中田正則 (なかた・まさのり)

フリーライター

1956年京都府生まれ。早稲田大学卒。出版社等勤務を経て1986年に独立。以来、主として雑誌媒体で、ビジネス・経済・経営・人事分野の取材記事やインタビュー等を中心に執筆。

 ピアノが好きで少女時代はゆったりとした時間を過ごしていたという内田亮子先生。どのようにして現在の研究に進むことになったのか……。

――まず、子どもの頃の本との関わりからお話を聞かせてください。

内田亮子氏(以下内田氏):福井県の今立町(現越前市)で育ったのですが、本当にのんびりした女の子だったと思います。当時は「女の子はピアノを習う」というのが決まり事のような時代だったので、まず習い始めたのがピアノ。さらに、ピアノを続けながら小学校ではトロンボーン、中学校ではクラリネットと、高校に入学するまでは楽器演奏に熱中する日々を送っていました。

 本に関しては、両親が小・中学校の教師だったということもあり、自宅には子ども向きのいろいろな全集などがあって、それを読んでいましたね。特にこの本というよりも、広く浅く、どれもおもしろいなという感じでした。

――ご専門の生物人類学に興味を持たれたのは、きっかけがあるのでしょうか?

内田氏:高校時代に進路を決める際に、理系と文系のどちらに進むかでまず悩んだのですが、人間を学問の対象とすることに興味があって、人類学という分野に行き当たりました。

 それで詳しく調べてみたら、アメリカやイギリスの大学には人間を総合的に学べる人類学部というのがあるけれども、日本の場合は文化人類学系と生物人類学系に大きく分かれている。私は人類学を大きな枠組みのなかで学びたいと思っていたのですが、どちらかを選ばねばならないということがわかりました。

 それならば、まずは自然科学系の人類学を学んで、それから文化系の人類学を学ぼうと考えて受験し、東大の理科Ⅱ類(理学系)に進学したのです。

――その頃から研究の道に進もうと考えていたのでしょうか。

内田氏:というよりも、実際に大学に入ってみると、私が最初に考えた総合的な人類学というのは、日本では学べないのかなと思うようになりました。というのは、東大の授業では、一方で人体解剖などをし、他方では民俗学や文化人類学など、それなりに広範囲に学んでいたのですが、その段階では、何かすべて表面的に触れるだけで終わっている感覚だったのです。

内田亮子先生 (撮影:ウェッジ書籍部)

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