2024年4月18日(木)

パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2013年5月17日

 「海外の選手と日本人選手を比べると体のサイズが違います。腕の長さが違います。スピードも、パワーも、シュート率も違います。そうした選手と戦うために日本代表になってパラリンピックに出場したいんです。それが競技者としての目標です。そのためにはジュニアの代表合宿に残り、ジュニアの代表として活躍しなければ、その先の日本代表はありません。今が大切なところです。またチームがゴールデンウィークに開催される『日本車椅子バスケットボール選手権大会』で日本一になることです。(昨年は準優勝)」

 これからの課題について聞いてみると、

 「自分はコミュニケーションを取ることが一番苦手です。個人技は良くても、ぜんぜんコミュニケーションがとれていないって、チームのみんなから言われています。声が出ていないとか、仲間と連携してディフェンスができていない、などです。声を掛け合わないと、一気に抜かれてしまうことがあるので、自分の最大の課題はそこにあると思っています」

 と、淡々と語った。田中が自分の足りない部分を冷静に見つめることができるのは、自分自身の強みを自覚し、チームの重要な戦力であるという自信の表れであると同時に、勝つためには克服しなければならない課題だと迷いなく受け止めているからだろう。

 最後に競技者として伝えたいメッセージを聞いてみた。

 「小さいころから頑張っていると、いずれ思いもしなかった道が拓けるはずです。自分は東京で生活すること自体考えてもいなかったんです。それなのに今ではバークレイズ証券に入り、支えてもらいながら、車いすバスケットボールの練習を続けられています。何事も諦めずに頑張り続けていれば、いつか夢はかなうと伝えていきたいと思っています」

 平成25年5月5日(日)、『内閣総理大臣杯争奪 第41回日本車椅子バスケットボール選手権大会』の決勝戦で「NO EXCUSE」は2年連続宮城MAXに敗れた。

 スポーツでは「結果がすべて」と語られることがあるが、筆者はそれが全てとは思わない。勝利という結果を追い求める課程においてこそ人は成長するものだ。行く手を阻む好敵手の存在が、チームを高みへと導き、人を磨いてくれるのである。負けの意味を深く問う。その先に美しき高次のステージが待っているはずだ。


プロフィール
田中聖一(たなか・しょういち)
1991年北海道函館市に 二分脊椎症という障害を持って生まれる。
小学4年生から車椅子バスケットボールを始める。
2009年 車椅子バスケットボールジュニア日本代表に選出され、フランスで行われた「2009ジュニア世界選手権大会」に出場する。
2011年にバークレイズ証券に入社。社内業務、車椅子バスケットボール、社内ダイバーシティコミッティ「Reach」の3つの活動に主に取り組む。
現在車いすバスケットボール日本代表に選出されるという目標に向かい日々練習に励んでいる。

※性別や身体の状態などさまざまな背景を持つ人々がアイデアや才能を発揮できるような職場環境を作る取り組み


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