WEDGE REPORT

2013年6月5日

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児玉 博 (こだま・ひろし)

ジャーナリスト

1959年大分県生まれ。早稲田大学卒業。フリーランスジャーナリストとして、大手総合誌、ビジネス誌で活躍。著書に『日本株式会社の顧問弁護士 村瀬二郎の「二つの祖国」(文春新書)、近著に『テヘランからきた男 西田厚聰と東芝壊滅』(小学館)など。

 ところが……。お礼のメールを送ったところ、サウジアラビア大使館から有無を言わさぬような形で2日後、大使館に来て欲しいとの連絡が来る。

 驚いた坂口は、上司であるテクニカルコンピューティングソリューション事業本部、シニアーマネージャー(当時)の石原康秀、同じくマネージャーの中村精一に相談する。

 相談といっても、誰に会うのかさえもわからない。石原は同事業本部の本部長、山田昌彦のところへ相談に行く。山田の答えは簡単だった。

「とにかくやってみようよ」

 山田の言葉に押されるように3人は東京・六本木にある大使館を訪ねる。その厳めしい門構えに中村はふと、一度入ったら出て来られないんじゃないか、と思うほどだった。

 3人を迎えたのはタウフィーク・アルラービア。3人はまったく知らなかったが、現在商工大臣を務める同国の大物である。当時も商工業省次官であり、MODON(工業用地公団)総裁の要職にあった人物だった。

 タウフィークら6人に取り囲まれるように座った3人は、富士通が提供できる技術を説明した。タウフィークの理解は早かった。なぜなら、タウフィークは米ピッツバーグ大学でコンピュータサイエンスの博士号を持ち、サウジアラビア総合投資院(SAGIA)のICTセクター事務局長などを務め、その分野の造詣が極めて深かったからだ。

 別れ際、タウフィークが石原、中村、坂口に言葉を投げかける。

 「12月にチュニジアで日本・アラブ経済フォーラムがありますが、そこでまた話をしませんか?」

 この時点で富士通のビジネスチャンスは未知数。しかも、先方から投げかけられた次のチャンスの場所はなんとチュニジア。こうした悪条件を考えれば、ここで話が途切れても不思議ではなかった。

 タウフィークらと別れた3人は面談の内容を山田に伝え、チュニジア行きの可否を仰いだ。

 「取りあえず行ってみようか」

 こうして新入社員、坂口がエジプト大使館で拾いあげた1粒の種子は育てられていく。

死して絶やさず
山本卓眞の精神性

 ちょうどこの頃、富士通社内では大きなうねりが起きようとしていた。それはかつて富士通を富士通たらしめてきたDNAを取り戻そうとするうねりだ。

 昨年1月、“国士”と呼ばれ、富士通中興の祖ともいわれた山本卓眞が亡くなった。特攻隊の生き残りとして戦後を迎え、1949年に東京大学第二工学部(51年に廃止)を卒業した山本が選んだのが富士通の前身、富士通信機製造だった。

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