2024年4月25日(木)

研究と本とわたし

2013年6月5日

 そのなかで特におもしろいなと思ったのは、御開帳の記録。私が美術館学芸員であったときに頻繁に聞いたのは「美術館は見世物ではダメだ。きちんと研究に基づいて情報を提供しなければいけない」ということ。でも展示物を一般の人たちに公開するというスタイル自体は、江戸時代半ばから盛んになった御開帳という形でずっとなされてきたことだし、それが現在の博物館や美術館につながっているとも言えるわけです。今は博物館なども盛んに仏教美術展を開催していますが、あれは少し名前を変えた御開帳であることは間違いない。

 猿猴庵の本は、そうした現代に定着している展覧会という仕組みの成り立ちなどを、もう一度考えさせてくれる材料を提供してくれるのです。

――では最後に、これから取り組みたいテーマについてもお聞かせください。

木下氏:中心的なテーマのひとつが動物園です。それはやはり御開帳とか見世物への関心と繋がっていて、動物園でも「動物園は見世物であってはいけない」という言い方をする。でも、動物を見るとか見せるということは、江戸時代からの見世物に繋がっているのです。

 それから、昨年『股間若衆』(新潮社)という本を出しました。美術書のなかでも、取り上げられるのは女性のヌードばかりで、男の裸はどこに行っちゃったんだと不思議には思っても、誰も論じて来なかった。それがある男性ヌード彫刻を見てから突然気になり出したので、結構調べて真面目に書いたものです。小沢昭一さんの影響を受けて同性愛の問題にも少しだけ踏み込んでいますけどね。性的な問題がいかに隠されてきたかを考える延長線上で、今年1年間は春画の研究会をやっていきます。

 さらに、やはりこの本から枝分かれする形で、一つの研究テーマになったのが銅像の問題。美術史という視点で見ると、基本的に美しくないものは外されていってしまうので、功なり名を遂げたような人物が銅像になったときに、彫刻なんだけど美術的な価値というのはほとんどないと言ってもいいそういう物体について、改めて考えたいと思い、『銅像時代(仮題)』という本にまとめる予定です。

 こう話していくと、結局、最初の『名画を見る眼』から、今は遠く離れたところにまで来たように見えますが、実はこれまでの歩みは、江戸から明治を迎えて時代はどのように変わってきたのか、近代とは何かについて考えている、すべて繋がっているのだなと思いますね。

――これから展覧会や美術展の見方が変わるような気がします。どうもありがとうございました。


木下直之(きのした・なおゆき)
東京大学文化資源学研究室教授。兵庫県立近代美術館・東京大学総合研究博物館を経て現職。美術を始め様々な領域を横断して19世紀の日本文化を考察。著書に『美術という見世物―油絵茶屋の時代』(平凡社・ちくま学芸文庫・講談社学術文庫、サントリー学芸賞)、『ハリボテの町』(朝日新聞社)、『写真画論―写真と絵画の結婚』(岩波書店、重森弘淹写真評論賞)、『世の途中から隠されていること―近代日本の記憶』(晶文社)、『わたしの城下町―天守閣からみえる戦後の日本』(筑摩書房、芸術選奨文部科学大臣賞)、『股間若集―男の裸は芸術か』(新潮社)など。


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