この熱き人々

2013年6月27日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

初めて時計組立のラインに立った日から約半世紀。並ぶ者のない精巧な組立技術は、日々の仕事に真摯に向き合い、今日よりも明日は一歩先へと歩んできた時間の結晶だ。何よりも使う人の喜びのために、磨き上げた技で今日も美しい時計を世に送り出す。

匠の技の精緻

工房内のマイスター専用ブースで

 愛知県、静岡県、長野県に跨(またが)る険しい山岳地帯に沿って走る飯田線の鼎駅から約2キロ。聖岳(ひじりだけ)、光岳(てかりだけ)、鶏冠山(とさかやま)など連なる山々に囲まれ、天竜川、松川、阿知川の清流が流れる長野県飯田市下殿岡にあるシチズン平和時計本社・殿岡工場。昼休みが終わった午後1時過ぎ、工場内は約400人の人々が働いているとは思えないほど静まり返っていた。最上階にある南信州高級時計工房が、社内でただひとりの腕時計組立のスーパーマイスターであり、昨年には黄綬褒章を受章した橋場悦子の仕事場である。

 白いつなぎと帽子で全身を覆い、靴を履き替え、さらにエアシャワーで入念に洗浄。埃(ほこり)ひとつ、髪ひと筋までも排除する精密機械の繊細さを実感しながら中に入る。ムーブメントを組み立てるラインや製品チェックのラインなどが並び、たくさんの人たちが働いているのに静止画像のように音も動きも全くない。静寂な室内に「カチ、カチ、カチ、カチ、ピー」という117の時刻を刻む音だけが絶えることなく流れている。

 ガラス張りで外から見学できるスペースに、ひとりですべてを完成させることができるマイスターのブースがある。作業机を半円形に囲むブースで、橋場は、最高級時計「カンパノラ」シリーズの「天満星(あまみつほし)」の針付けをしていた。針押さえ、ピンセットなど時計の組立工具を駆使して、橋場は短針、長針、秒針を文字盤に取り付けていく。指紋がつかないように指にはすべてサックをはめ、双眼顕微鏡をのぞきながら細やかに手を動かす様子は、マイクロサージャリーで血管や神経をつなぐ外科医のようにも見える。完成した20個ほどの時計の秒針の動きが寸分の狂いもなく見事に一致している。思わず見とれながら、これが匠の技というものなのかと思う。

 工場内の応接室。橋場の目は少し充血していた。

 「針を付けるときは、気持ちを落ち着けて集中して、ここと決めたら迷わず一気に付ける。雑念や迷いがあると失敗しますから。気がつくと息を止めています。今日も何回息を止めたことか」

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