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会津 名君の系譜
――悲運をバネに世界を唸らせた「無私」のリーダー像
原口 泉 著

目次 立ち読み

 

いまの日本において優れたリーダーや指導者の不在は目を覆うべきものがありますが、日本の歴史の中には、いまこそ学ぶべき優れた指導者が大勢います。中でも、大河ドラマ「八重の桜」で話題になっている会津藩には、日本のみならず国際社会でも尊敬されている名君・名指導者が非常に多いのです。本書は近世の名君論からはじめて、「会津の血」を日本人の精神遺産──矜持、尊厳、廉直──として普遍化しようと試みました。日本の行く末を考える上で、必読の書です。

<書籍データ>
◇四六判並製、240ページ
◇定価:本体1,400円+税
◇2013年8月25日発売
◇ISBN: 978-4-86310-114-2

<著者プロフィール>

原口泉(はらぐち・いずみ)
志學館大学人間関係学部教授、鹿児島大学名誉教授、鹿児島県立図書館館長。1947年生まれ。東京大学文学部国史学科卒、同大大学院博士課程単位取得退学。専門は日本近世・近代史。特に、東アジア諸地域とのつながりの中で、薩摩藩の歴史研究に取り組む。日本各地から東南アジア、欧米で講演。NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」(1990年)、「琉球の風」(1993年)、「篤姫」(2008年)の時代考証を担当。『篤姫』『龍馬を超えた男 小松帯刀』(グラフ社)、『世界危機をチャンスに変えた幕末維新の知恵』(PHP新書)など、著書多数。

 

 

 

<立ち読み>

 会津藩最後の藩主・松平容保(かたもり)を描いた司馬遼太郎氏の小説『王城の護衛者』(講談社文庫)を最初に読んだとき、私はその冒頭の一行が妙に印象に残った。

 「会津松平家というのは、ほんのかりそめの恋から出発している」

 という一文である。

 この本が出版されたのは昭和四十六年(一九七一)、それからほどない時期に読んだとすると、私はまだ青年時代真っ盛りだった。この一文が妙に印象に残っているのは、こうした世代感覚もあったかもしれない。「かりそめの恋」という言葉に含まれた切なさや色っぽさが、多感な年代の心を揺さぶったのだろう。

 この「かりそめの恋」とは、二代将軍・徳川秀忠が、将軍になってから、ただ一度、正室以外の女性を愛したことを指している。その女性から生まれた息子は、父子の名乗りをしないまま、信州高遠藩藩主・保科家の養子・保科正之として育てられた。

 この保科正之こそ、のちに、異母兄に当たる三代将軍家光に見いだされ、会津藩の藩主に抜擢され、「奇跡的な名君」とされた人物なのである。

 正之がそうした「名君」に育ったのは、その屈折した出生と幼少期の事情を抜きには考えられない。「三つ子の魂百まで」である。まずそこから話を始めよう。

 保科正之に関しての決定的史料といえば、まずこの藩祖が重視した歴史編纂の伝統を汲んで後年、会津藩編集方が編集発行した『会津藩家世実紀』がある。

 原著は全二百七十八巻の膨大な史料であるが、これを活字化して十五巻にまとめた画期的な史料集が、吉川弘文館から出版された。給料の安い駆け出しの学者だった私が、大枚をはたいて買った思い出の愛蔵本で、今、県立奄美大島図書館に寄贈してある。

 もちろんこれは、一般の読者にはなかなか親しめるものではないが、ほかにも地元を中心に一般読者にも可読な優れた研究書が出ている。

 保科正之公三百年祭奉賛会が発行した『保科正之公伝』(相田泰三)や、地元会津での歴史研究の権威による『保科正之のすべて』(宮崎十三八編著、新人物往来社)、歴史作家・中村彰彦氏の優れた評伝『名君の碑──保科正之の生涯』(中村彰彦、文春文庫)ほか、いくつかの史料でも知ることのできる保科正之の事績を総合して見ていきたい。

 

 徳川秀忠が愛した女性の名前はお静(または志津)、父は北条家に仕えていた神尾尾伊予である。彼は、北条家滅亡後、浪人として、江戸にやってきた。茅葺屋根の家が点在するだけだった江戸が、日本一の城下町に育ち始めていたころのことである。

 伊予は、江戸に出てのち、旗本として幕府に仕えていたという。また、一説によれば、仕官の夢は叶わなかったとも言われている。

 お静は、伊予の次女として生まれているが、これといった嫁ぎ先も奉公先も決まらないまま、二十五歳になっていた。将軍の目に留まるほどだから、美しく気立てのいい女性だったと思われるが、当時としては結婚適齢期を過ぎている。

 運命の神様は、そのときの訪れるまでの時間稼ぎをしていたのだろうか。

 そのときがきて、お静の奉公先がようやく決まったのは、慶長十三年(一六〇八)だった。将軍秀忠の乳母を務め、「大おばさま」と呼ばれていた女性のところで、給仕役を務めることになったのである。

 将軍・秀忠は、大奥に渡ったとき、母ともいえる乳母であるから、たびたび、この「大おばさま」を訪問したのであろう。そのとき、彼女のおそば近くに仕えるお静を見初めたと思われる。

 秀忠の正室であるお江与の方(幼名・江)は、非常に嫉妬深い女性だったとされている。平成二十三年のNHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』の主人公にもなったが、この作品ではそれほど嫉妬深くは描かれず、隠し子のことはわずかに出てはきたが、お静は「なつ」という名になっており、その存在に光が当たることはなかった。

 よく知られるように、江は織田信長の妹・お市の方の三女で、父親は浅井長政。生後まもなく、父・長政は信長を裏切り信長に滅ぼされた。お市の方は、娘たちとともに兄のもとに帰り、信長の庇護を受けることになる。

 また、信長の死後、お市の方が嫁いだ柴田勝家は、天下を狙う秀吉に滅ぼされた。三人娘たちは、これまたやむなく秀吉の庇護を受ける身になった。

 父を滅ぼした信長と、義父を滅ぼした秀吉と、いわば敵方の庇護を受けつつ成長したお江は、今度は、秀吉の命ずるままにあちらこちらに嫁がされ、秀忠は、三人目の夫でしかも、自分のほうが六歳も年上だった。

 今でこそ、珍しい話ではないが、明治になってからでも、たとえば、『野菊の墓』(伊藤左千夫)のヒロイン民子は、一歳年上であることを気にしている。だから、お江の複雑な思いは理解できるような気がするのである。

 あるいは、信長の姪であるという誇りもあって、秀忠の浮気を許せなかったのかもしれない。

 しかし、この正室の目を盗んだ秘められた愛、司馬氏の言う「かりそめの恋」によって、やがてお静は身ごもった。──第一章より

 

(続きは本書でお読み下さい)

 

 


<目次>

 

序章 薩摩人の私がなぜ会津を見直すか
会津のシンポジウムに、薩摩人の私が呼ばれた理由
会津女性をモデルにした津村節子の小説『流星雨』
会津では明治維新を「維新」と言わない など

 

第一章 三万石の小藩から会津藩祖へ引き抜かれた将軍ご落胤◎保科正之
二代将軍・徳川秀忠の「かりそめの恋」とは
保科家の養子になる 
保科正之の三大美事 など

 

第二章 藩祖以来の忠義を貫き火中の栗を拾った最後の藩主◎松平容保 
「花の天保六年組」の一人 
会津松平家の家風を象徴する三つの柱
晩年の容保を支えたもの など

 

第三章 世界から尊敬された北清事変の英雄◎柴五郎
会津藩士の無念を晴らす
はじめての希望の光は陸軍幼年学校
最も優秀な指揮官コロネル・シバが北京籠城を成功させた など

 

第四章 ドイツ人俘虜に「第九」の日本初演をさせた収容所長◎松江豊寿 
「俘虜も祖国のために戦ったのだから」 
会津人でなければわからない敗者の悲しみ
なぜ松江は世界に誇れる収容所長になったか など

 

第五章 家老の家系で看護界に献身した「もう一人の八重」◎井深八重
希望に満ちた青春の暗転
間違っていた診断と八重の決意
むごい歴史の中で輝く献身の血 など

 

第六章 白虎隊に縁者が二人、祖父が朱雀隊にいたソニー創業者◎井深大
小学生にしていっぱしの科学者・研究者 
仕事の報酬は「仕事」、会社の目的は「愉快な仕事」 
初心忘れぬ謙虚さ、怖いくらいの任せ上手  など

 

 

 

 

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