この熱き人々

2013年9月16日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 研究員時代に、学生たちと一緒に東北各地に残る民俗や風習を映像に残す試みに取り組むなど生き生きと活動していたはずなのに、それらを断ち切らなければ自分が壊れてしまうほどの苦悩の日々がこの10年の間に横たわっていたということだ。

 「今のアカデミズムの世界はあまりに競争社会で、1年でどれだけ論文を書いたか、どれだけ講演をこなしたか、何冊本を出したかという数の成果が求められる。できるだけ論文も書き、講演も精いっぱい引き受けていたんですけれど、自分自身の気持ちがそれについていかなくて焦り、これでいいのかと悩みました。受賞の後、ありがたいことに周囲の評価が高まったのですが、それに応えられない自分がもどかしい。何とかしようとしても、さまざまな仕事が増えていく。入試の委員に任命されれば、高校への営業活動をしなければならない。学生ともっと密に関わりたいのに、研究室にいられない。それらがストレスになって、頻脈など身体の変調も現れてきてしまったんです」

 期待され、評価され、応えたい思いや研究への情熱が、外に発揮する道をどうしても見つけられずに内で過熱し、ついに焼き切れてしまった。そんな痛ましさが漂う。大学を辞めることで必死に救おうとした自分の核は何だったのだろうか。

 「民俗学の研究者は続けたいと思っていました。大学でなくても、フィールドがあり、学会に所属していれば発表の機会はありますから」

 民俗学の研究者であり続けたい。ボロボロになりながらも最後にその灯りを守るために断腸の思いで大学を去ったのだろう。

驚きのフィールドへ

 地元静岡の大学・大学院で比較文化論を学び、大阪大学大学院、東北芸術工科大学と関西や東北で暮らしてきて、再び故郷の沼津に戻って実家に身を寄せた六車は、3カ月ほどは外との接触も絶ち、何もしないで家にこもっていたという。

 「しばらくは何もできなかった。自分に何ができるのか見通しも立たないし」

 3カ月後、六車は外に出た。というより、外に出る必要性に迫られた。

 「雇用保険の手続きが必要になって、ハローワークに行くしかなかったから。給付を受けるには、とにかく就職活動しているという条件を満たさなければならないんです」

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