2024年4月19日(金)

パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2013年8月22日

 だが、母親が車椅子に乗るようになり、兄が中学進学と共に特別支援学校に通い始めて障害というものを認識し始めた。

 「お母さんが車椅子生活になり、小学校6年生まで普通学校に通っていたお兄ちゃんが、中学1年から特別支援学校に通い始めたんです。お兄ちゃんの同級生にも車椅子の人がいて、自分たちだけじゃないんだと気づきました。それまでは無知だったんです」

 その2歳上の兄が特別支援学校で車椅子マラソンを始めた。木山は兄が出場した試合を見て「道具を使えばスポーツができるんだ!」「自分にも出来る! やりたい!」と思った。

 木山の中学では、室内履きはスリッパだったのだが、木山だけは危ないからとシューズを履かされた。元々歩くことが遅く、階段に手すりがないと登ることが出来なかったり、移動教室では自分だけが遅れてしまった。

 そんな自分が時に恥ずかしく、みんなと同じでありたいと願い続けていた。

 「自分が障害者だということや人と違うことを認めたくなかったんです。でも、お兄ちゃんが通う特別支援学校には周りに障害を持っている方たちがいて、その人たちを見ているうちに、私も障害と向き合わないといけないと思うようになったんです」

特別支援学校への転校が転機に

 木山は中学2年生の時に特別支援学校への転校を両親に願い出た。当初両親からは「あと1年だから、卒業まで今の学校に通った方がいいのでは」と反対もあったが転校を認めてもらった。

 中学3年で特別支援学校に転校し、すぐに車椅子マラソンを始めた。長年やりたくても、我慢を強いられてきたスポーツに関しても出来る範囲で認められた。

 木山にとっては、これが一番嬉しかった。

 「中学の友人に病気のことを言っていなかったんです。知られるのが恥ずかしいから隠していたんです。でも、周りはみんなと違うことはわかっていたとは思います。それが自分にとって苦痛でしたし、周りも苦痛だったと思うんです。そんな生活を2年間過ごしてきました」

 医師と看護師が常駐する寮での生活は、病気についての情報に触れる機会が多く、木山も自身の病気と向き合わなければいけない環境になり、医学事典を借りて病気のことを知ろうと努めるようになった。

 現在の木山からは想像もつかないが、中学2年生までは、とてもおとなしく周囲と賑やかにおしゃべりするタイプではなかったようだ。しかし転校後に変わった。周りに自分よりも重度の障害をもった方たちがいたからである。


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