ヒットメーカーの舞台裏

2013年10月15日

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池原照雄 (いけはら・てるお)

ジャーナリスト

1950年生まれ。専門紙や全国紙の経済記者として自動車、エネルギー、金融、官庁などを担当。00年からフリーになり幅広い執筆、講演活動を展開。著書に「トヨタVSホンダ」(日刊工業新聞社)、「図解雑学 自動車業界のしくみ」(ナツメ社)など。

 開発部門に籍を置いたこれまでの20年で、藤代が手掛けた商品は20機種に及び、多くのヒット作も送り出した。だが、いまだに「ヒトの手に勝つものは実現できていない」と自らには厳しい。

 めざすのは、マッサージ師が身体の凝り具合を瞬時に判断して最適な施術を行うように「ヒトに代われるような高度な頭脳をもったマッサージ機であり、身体だけでなくヒトの心もマッサージできるような機械」。だから、進化させるための開発に「終わりはない」と強調する。

 同時に、後進の育成もマイスターの重要な仕事となっている。開発で体感の部分を担うスタッフは女性も含めて10人ほどのチーム。みんなで刺激しあいながらカンジニアリングの技量を高め、第2、第3のマイスターを育てたいという。(敬称略)

(写真・井上智幸)

■メイキング オブ ヒットメーカー 藤代光明(ふじしろ・みつあき)さん
フジ医療器 商品本部長付マッサージ部長

1965年生まれ
大阪府堺市生まれ。幼少の頃は外に出て遊ぶことが多く、カブトムシやクワガタをはじめ昆虫採集が好きな少年だった。中学生のときまで、自宅のお風呂は薪を使用してお湯を沸かしていたため、日課となっていた薪割りが得意であった。
1980年(15歳)
府立堺工業高校(現・堺工科高校)に進学。金属科で材料、鋳造、溶接、作図などについて学んだ。休日には電車に乗って和歌山まで行き、サーフィンを楽しむことが多かった。遊ぶお金を稼ぐため、引っ越しのアルバイトなども行った。
1983年(18歳)
フジ医療器に入社。就職先は「ネクタイを締める仕事ではなく、現場で作業をする仕事」を希望した。自宅から自転車で20分ほどの距離に工場があったことも入社の決め手のひとつとなった。当時のフジ医療器はOEM(他社ブランドの製造)製品も多かった。
1993年(28歳)
入社以来10年ほどマッサージチェアの生産に携わった。生産ラインでの作業、工程管理などを経て、開発部門へ異動。「明日から開発部門へ行ってくれ」と突然上司に言われたときは驚いたが、同時に「選ばれてうれしかった」。以降多くの製品の開発を手掛け、社内初のマッサージチェアマイスターとなった。幼少の頃から一貫してアウトドアが好きで、休日は家族とキャンプを楽しむ。

[特集] ヒットメーカーたちの物語

◆WEDGE2013年10月号より










 

 

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