ブルキナファソ見聞録

2013年10月1日

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岡田綾 (おかだ・あや)

JICA職員

1982年兵庫県西宮市生まれ。小学校6年生のときに阪神・淡路大震災を経験。2005年京都大学文学部社会学科、2007年同大学大学院地球環境学舎環境マネジメント専攻修士課程修了。環境やコミュニティ防災について学ぶ。就職活動では、「その人自身のせいではないが、理不尽な境遇におかれてしまった人のために仕事をしたい」と考え、他の関心事項であった「途上国・国際協力」も満たす組織として、独立行政法人国際協力機構(JICA)を志望し、2007年入構。地球環境部、広報室などを経て、アフリカ勤務を希望し、2012年12月よりブルキナファソ事務所に赴任。

 ――サバンナに暮らしてみると「白」というものが、ここでは人間の働きかけによってつくりだされる、一つの積極的な状態だということをしみじみ感じさせられる。――

『サバンナの博物誌』 (川田順造 著)

 ブルキナファソに接点を持つ多くの人が手に取ったことのあるだろう川田順造氏の著書『サバンナの博物誌』の中に、色について書かれた項がある。白は色のない状態ではなく、サバンナにおいては身の周りにあるものから意図的に作り出されるものだ、という。

 個人的な話になるが、赴任前に日本で書道をしていた頃、私からすれば師匠の師匠とでもいうべき書家の先生が、「書道は、白い紙にいかに良い線を書くかというだけでなく、線を書くことによっていかに白い空間を作り出すか、という試みでもあります」と話していたことを思い出した。

色彩も「大人しい」ブルキナファソ

 白を生み出す。

 私が経験したのは日常生活の中での行為ではないので、サバンナに暮らす人々が実践しているところの白を生み出すということとは異なるが、この一節を読んだ時には、なんとなく共通点を見つけた気になって嬉しくなった。

 それ以降、村に行った時や移動中の車の中から白を探すようになったのだが、やはり今のワガドゥグ市内では色を作り出す化学染料などが豊富にあるためか、「積極的な白」をまだ発見できていない。

 代わりに、色を気にしていると、ブルキナファソがどうして大人しい印象を与えるのかという問いに対して、ただ単に人の振る舞いなどから感じる印象論だけでなく、視覚的に色彩が大人しいからだということに気付く。見てそのままなのだから、容易な発見ではある。積極的な白を見つける難しさと同じくらい、目の覚めるような原色に出会うことも難しく、つまり、ワガドゥグは、言ってしまえば地味な部類に入る。

 道に並ぶちょっとした屋台は優しい水色が多く、走っている車やバスで良く見かけるのは特段白を作り出すことを意図していない中で使われている白やグレー(タクシーは緑や黄。でもくたびれている車体が多いので、色の力強さはあまり感じない)。人々の服装も、落ち着いたトーンの色がよく目につく。門がある家は、茶、黒、水色などでその扉を塗っているところが多いだろうか。赤茶けた砂が舞い上がり、1日で車のフロントガラスがうっすら砂埃で曇るように、町も常に砂の膜に覆われているような状態で輪郭がはっきりしない。時折、明るいぱっとした色が目に入ると、気持ちまではっとするくらい、アフリカの他の国で見かける色とりどりに飾られた乗り物や、華やかな服装の女性たちというのとは、一線を画しているのである。

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