この熱き人々

2014年2月21日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 「落下のシーンは7テイクやったんです。落ちた瞬間、車のトランクが開いて人が飛び出すはずなのに、そのタイミングが合わない。ワイヤーをつけているとはいえ、3テイク目ぐらいからいったいどうなるんだろうと思いました。ガラスは火薬を仕掛けてヒビを入れて、その瞬間にヒビに突っ込むんですが、頭を切って病院で縫いました」

 痛そう……怖そう……ひとつ間違えば大変な事故につながる。

 「正直、怖いし、痛いに決まってます。怪我をする人も亡くなる人もいますが、できなくなれば、次の誰かを呼べ! という世界。それがスタントマンの仕事ですから」

 ビジネス環境としては日本よりも厳しいアメリカに踏み留まり、日本よりはるかに派手なアクションを求められるハリウッドでの受賞は、南のこれまでの苦労が報われた瞬間でもあったのだろう。

 「スタントマンにとってものすごく名誉なことで、1000人ぐらいギャラリーがいる舞台で名前を呼ばれた時は本当にうれしかった。家族もみんな連れて行ったんです。喜んでくれました。この受賞のおかげでグリーンカード(永住権)を取得することができて、ビザの更新で苦労することがなくなりました」

 アメリカに渡った時に1歳だった上の娘は、今年19歳。危険を引き受けることを仕事にしている夫や父をもつ家族にとっても、生命の危険への不安に加えて異国での生活の不安定とも闘ってきた年月だったわけで、本人とはまた別の感慨があっただろう。

アクションへのあこがれ

 それにしても、南はなぜかくも痛くて怖いスタントマンの道を歩くことになったのか。なぜアメリカというより厳しい環境を選んだのか。

 「1981年、小学校6年生、11歳の時にあこがれたんです」

 間髪を入れずに明確な答えが返ってきた。南の生まれは京都。映画館で真田広之主演の「吼えろ鉄拳」という映画を11歳の時に観たという。

 「真田さんのアクションにすごくあこがれて、自分もああいうのをやりたいと思ったんです。真田さんの所属していたJAC(ジャパンアクションクラブ)に入りたいと思ったけど、当時東京にしかなくて、中卒からしか入れなかった。父にアクションやりたいんだと相談したら、それなら空手をやっといたらどうだと空手道場に連れて行かれました」

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