この熱き人々

2014年2月21日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 沖縄直伝剛柔流空手道「日本正武館」に入門した南は、試合に出る度に好成績を残し、メキメキと頭角を現した。大会での優勝記録は14回、準優勝4回、3位4回という大活躍。13歳の時には、JACの養成所が京都にできて中学生も入れるようになったと知り、さっそく通うことにした。研修期間は1年。もちろん最年少。

 その頃、JACは俳優養成所という性格ももつようになっていた。スタントではなく表舞台の俳優を目指そうという気はなかったのだろうか。

 「ジャズダンスや歌や芝居のレッスンもあったんですが、どうも好きじゃない。やってられへんって感じでいつも一番後ろ。アクションは週に1回で、自分はそこしか楽しめないということがわかった。で、1年後に研修が終わって、続けるとしたら東京に出るしかない。まだ中学生だったし、京都から出るのは物理的にも無理と諦めました」

 京都で高校に進み、指導員として道場で小学生に教えながら空手一筋の武道家を目指したが、高校を出たらそれだけでは食べていけないという現実に直面。18歳からトラックの運転手を皮切りにいろいろな仕事をし、23歳で結婚。24歳で長女が誕生した。

 「その時になって、自分はいったい何をやっているんだろう、これでいいのかと思ってしまった。アクションをやりたかったのに、諦めて空手に夢中になり、でも武道家としても中途半端。なぜあの時、東京に行かなかったのか。後悔しても、子どももいるし、もう24歳にもなって手遅れだし、夢は終わってるんだと思おうとしたんです。でも一方で、子どもが小学校に上がる前なら何とかなるかと考えている自分がいる」

 1年後の96年。妻と1歳の娘を連れて渡米。諦めなければ……でももう一度挑戦したい……というせめぎ合いは、南の中で夢を再び追うと決着したわけだ。

 「というか、無理なら無理ではっきり納得したかったのかも。諦め切るために何か行動したかったのかもしれないなあ」

 中途半端な自分に引導を渡すためのアメリカは、ハリウッドを視野に入れたロサンゼルス。英語はもちろんできないし、辞書片手にアパートを借りる交渉をし、蓄えを切り崩して語学学校に通いながら、スタント協会の情報を探す毎日。再挑戦するにしても、アメリカではなく日本で夢を追ってもよかったのではないか。

 「JACの養成所で一緒だった人や後輩がすでに仕事してるし、その下につきたくないというしょうもない意地とプライドがアメリカに向かわせたんです」

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