この熱き人々

2014年2月21日

»著者プロフィール
閉じる

吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 アジア人は目立って重宝されるのではという甘い考えはすぐに吹き飛んだ。スタントを目指すアジア人は山のようにいる。忍者だって、スタントなら日本人でなくてもいい。1年たち、ビザも切れ、仕事もない。これで諦められると、両親に「帰る」と電話した。

 「母はやるだけやってみたんだから帰っておいでと言ってくれたんですが、父は帰ってくるなと言う。帰ってこない覚悟で行ったんじゃないのかって。帰れなくなってしまった。この時が僕の本当のターニングポイントでした」

転がる岩のように

 覚悟を決めて行ったのではなく、退路を断たれて覚悟を固めるしかなくなった。いつチャンスが来てもいいように、毎日空手のパフォーマンスや筋トレを続けながら、バイトをして何とか暮らす。そんなある日、日系スーパーで「スタントマン募集」の貼り紙を目にした。それまでも何度もこの手の情報にトライしてはうまくいかない繰り返しで、何か胡散臭いなと思いながらも、もしやと期待して応募した。

 「でも本当に日本人がアメリカで撮影する映画の企画があって。藤岡弘さんも出演する『ショーグン・コップ』という映画でした。事情があってお蔵入りしてしまったけど」

 しかし、陽の目を見なかった28歳での初スタントは、その後の南の人生を転がす第一歩になった。1作撮ったからといって仕事が続くわけではないが、それが縁で人間関係の細い糸は生まれる。「ショーグン・コップ」のプロデューサーから、北野武監督がアメリカで「BROTHER」を撮るから手伝ってくれと頼まれた。仕事というよりボランティア。スタッフの通訳や観光案内だったが、どんなことでも北野監督の映画に携われたのは感激だったという。

 一歩が次の一歩の尻尾を手繰り寄せるように、アメリカの人気テレビドラマシリーズ「パワーレンジャー」という戦隊ものを手がける日本人スタントチームと知り合い、ひたすら声がかかるのを待った。スタントのメンバーが紹介してくれた殺陣師の助手などをボランティアでこなすうちに、やっと南にも仕事が回ってきた。レギュラーの仕事ができビザも取得、生活が安定したと思った02年、「パワーレンジャー」の制作拠点がニュージーランドに移されることになった。

 「仕事をキープするために行くしかない。また家族とともに移住です。ニュージーランドで永住権を取り、そこでハリウッド映画に出たり、ヨーロッパまで出向いたり、『ナルニア国物語 カスピアン王子の角笛』ではスタントのほかにアクションカメラオペレーターを経験し、スティーブン・スピルバーグとトム・ハンクス製作指揮のテレビドラマ『ザ・パシフィック』でも、スタントに加えて日本人スタントメンバーのキャスティングやコーディネートも任されました」

関連記事

新着記事

»もっと見る