WEDGE REPORT

2014年1月24日

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 李登輝さんが執務した総統府は台湾総督府の建物がそのまま使われている。レンガ造りの様は、法務省のレンガを、中央に立つ時計棟は李登輝さんの母校である京都大学の時計台を想起させる。また、戦後通ったという現在の国立台湾大学は、1928年(昭和3年)に開校した日本で7番目の帝国大学である臺北帝大が前身である。台湾大も臺北帝大時代の校舎をそのまま使っている。ギザギザ模様の入った黄土色のタイルで、背の低い洋風の建物は、東京大学などで見る校舎をそのままここに運んできたかのようだ。

旧台湾総督府

 台湾ならではなのは、ヤシの大木だ。東大だと、正門をくぐると左右対称に校舎が配置され、真っすぐに銀杏並木が安田講堂まで続く。台北大ではそれがヤシ並木になっている。しかも、正門から入ると道が大きく右側にカーブしている。その先にもヤシ並木が続き、一番奥に一橋大学の兼松講堂を少し小ぶりにしたような図書館がある。カーブを曲がって突然視野が広がったとき、ハッと息を飲むのような驚きを与えてくれる。80年以上前、文部省の設計者が考えた仕掛けが、今も有効に働いているのである。

90歳のおばあちゃんとの出会い

台湾大学。ヤシの木が印象的

 李登輝さんに面会すると、その存在感に圧倒された。いまも饒舌な日本語を操る李登輝さんは、臺北帝大の設計同様、日本ではもう失われつつある戦前の旧制高校、帝国大学の教育の体現者かもしれない そんなことを感じさせられた。司馬遼太郎さんは『街道を行く』(朝日文庫)の台湾編のなかで「旧制高校生の雰囲気をそのまま残した人」と、李登輝さんのことを評していた。話が進んで行くごとに強くなる目の光、諭すようにして3時間も話を続ける熱意、そして使命感……。こんな人たちが、一方では台湾を民主化させ、他方では戦後の荒廃から日本を立て直したのかと、納得させられた。

 インタビューを終え、日本への留学経験がある方々と夕食をご一緒させて頂いた。縫製会社の若手経営者である女性と話していると、「私のおばあちゃん、今90歳ですけど、日本語を喋ることができますよ」と唐突に教えてくれた。ご迷惑なことは承知で「会わせて頂きたい」と頼んだ。なぜ会いたいのか。かつての「日本人」に会えるのではないかと思ったからだ。

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