障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2014年1月30日

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初瀬:やはりニュージーランドに行ってから加速度的に変わっていったということですね。僕の障害受容は柔道によるものですが、障害を受容するためにスポーツはとっても大事なんです。まずは外に出るキッカケができます。それに同じ境遇の仲間ができます。一人でいるとどうしても悪いほうに考えて、世の中は健常者ばかりで障害者は自分だけなんて感覚にも陥ります。でも外に行ってそういう環境に入ると色々な障害をもった人に出会ったりもします。お互いが自分の障害を話すことによって、大変なのは自分だけじゃないんだってことに気がつくんです。

 障害者は挫折の繰り返しですが、スポーツは小さな成功体験の積み重ねなんです。健常者から途中で障害者になった場合、三阪さんのようにスポーツを通して障害の受容が加速度的に進むケースは多いんです。

三阪:自分の生きる道を見つけるためのツールとして、車椅子ラグビーは大きな意味を持っていたと思います。帰国後、周りが驚くほど自分が変わっていました。

 その後、埼玉の国立リハビリテーション病院の職業訓練校に通いました。

初瀬:自分で行動すれば何かを変えることができるんです。そういうのを実感している人は健常者よりも障害者の方が多いと思います。常にチャレンジしている状態ですから。

 障害者は何をするにしても選択肢が少ないんですよ。家の中で引きこもるにしても誰かがサポートしてくれなきゃ何もできないし、買い物にも行けません。行動せざるを得ないんです。それで自分から行動してみるといろいろなことが変わってくるんです。

三阪:職業訓練校ではパソコンを使って経理事務ができるように日商簿記2級を取得して事務作業に必須なワードやエクセルの検定を受けました。障害者雇用は枠が少ないですから取り合いになるわけですよ。何で見比べられるかというと資格の有無とスキルです。障害者雇用は資格で勝負しなければなりません。

初瀬:僕なんかはエントリーシートを100社以上に送っても、全然だめで面接まで行けたのはたったの2社だけですよ。障害者が就職するのって狭き門ですからね。

ところで三阪さんは職業訓練を受けながら車椅子ラグビーをされていたわけですが、日本代表にはいつ選ばれたのですか。

三阪:2003年に初の日本代表入りをしたのですが、翌年のアテネ・パラリンピックで世界の凄さを見せつけられて全敗で帰って来るんです。その後世代交代が進むんですが、日本代表は12人の登録枠まで選手が集まらず定員割です(笑)。

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