2024年4月24日(水)

個人美術館ものがたり

2009年5月16日

 荻須の絵も渡仏当初は、何か思いつめたように飛び跳ねている。パリの壁貼りポスターもずいぶん主役として登場していて、佐伯の絵にかなり接近している。情熱的な暗さにあふれて、寒い土の中を掘り進むような、やみくもな若い力が伝わってくる。それも渡仏後数年もたってくると、画面は少しずつ落着いて、やっと地上に出たような、真っすぐな線があらわれてくる。やみくもな力というのではなくて、力の統御ができてくる感じだ。

 むしろそこからが荻須らしさでもあるようだ。佐伯はそういう地上に出る前のところで、生涯を終える。といっても、一時帰国して発表した佐伯の作品群は、日本の画壇で大変な評価を受けた。でも運命は佐伯の絵を地上の空気の安定にまでは届けられなかった。もちろん荻須と佐伯にはそれぞれの資質の違いがあってのことだが、その二人が戦前のパリで同様の格闘をしていたことに、見る方は共感するわけである。それはそれぞれの若さからくるものでもあるが、時代の空気も等しく降りかかっていたのだろう。渡仏してすぐのころは、パリの裏町の建物、とくにその古壁の材質感にひたすら視線が集中する。たとえば街路樹など、はじめは眼中になかったような描き方だが、画面が安定したころから、街の樹木が俄然のびやかに描かれて登場してくる。

荻須が最後までもっていた自画像「パイプをくわえた自画像」に見入る赤瀬川さん

 そのころからが、いわゆる荻須スタイルということになるのだと思う。垂直線がきっちりとして、規律正しい、姿勢の正しい感じのする風景画だ。じっさいに荻須高徳は、姿勢がすごく正しい。たまにその姿を写真で見かけるが、どれも背筋がぴんと伸びて、真っすぐな姿勢をしている。子供のころは病弱で、それを正すために剣道部に入っていたらしい。これは健康のためにも重要だったが、後にその身体が描く絵にもずいぶんあらわれていると思う。剣道といえばスポーツというだけでなく、礼に始って礼に終る、ではないが、精神的な部分でも型というものの正しさが基本となる。先に書いた「土の中」を描き進むような初期のパリ風景画から「地上」に出たと思われる辺りからは、その剣道で身についた規律正しさが、画面にも荻須の特徴としてあらわれてくる。

 それは剣道で強化されたのだろうが、そもそもの荻須本来からの性質だったのだろう。姿勢もさることながら、その顔が、目も眉も鼻も口も直線的で、ぴんと張っている。顔が正に剣道でいう青眼の構えとなっている。いちど見たら忘れられない印象的な顔だ。その目つきのおかげで、パリの街角で制作していても嫌がらせを受けることはなかった、というのは夫人の話だ。


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