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2009年5月12日

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 「中学2年生の時、祖母が脳梗塞で倒れました。時々看病に来る母には気持ちを開けず、きつい言葉を浴びせました。祖母は、入院するお金もなく、そのまま家で3カ月くらいして亡くなりました。それで私は、一人ぼっちになりました。目が見えて何でも揃っている人と、障害があって家族もいない自分。こんな不公平はない。自分が生きている意味があるのか、早く死んだほうがいいんじゃないかと強く思いました」

 井戸に飛び込んで自殺しようとした新垣はしかし、通りがかった人に止められ、死ぬこともできなかった。

写真・田渕睦深

 もっとも、生まれてから新垣がずっと絶望一色だったかというと、そうではなかった。

 「祖母は歌が好きな明るい人で、福祉手当をもらって暮らしているのに、人が来ると家にあるものをみんな食べさせてしまう。葬式には家に入りきれないほどの人が来たくらい、人を愛し、愛される人でした。私にも、厳しい面はありましたが、愛情を注いでくれました」

 「『なぜ?』と質問ぜめにすることが多かったので先生から疎んじられもしましたが、小学校では、発表会とかでみんなの前で私を歌わせてくれる先生がいました。中学校では、私の舌が長いのを見て『語学に向いている。一生懸命に英語を勉強してごらん』と励まし、英語の時間は私を当てて読ませて、私を中心に盛り上げてくれる先生がいました。いい面を出してあげようとしてくれる先生に出会えたんです」

 自分を愛してくれる祖母や先生は、新垣に未来への希望を抱かせただろう。しかし一方で、両親や障害を呪う自分もいる。希望と絶望の間を行き来していたのが若き日の新垣であり、自殺を思い立った時は、祖母の死によって振り子が大きく振れた時だったのかもしれない。

 高校生の時には、自分の苦悩をじっと聞いてくれた牧師と出会い、賛美歌の響きにも魅かれていたことから、自分も牧師になりたいと神学の大学に進み、聖歌隊に入る。そこでも『追いかけていってでもレッスンする』と新垣の声に愛情と熱意を持ってくれる先生に出会い、世界的なボイストレーナーのバランドーニ氏に会う機会を得た時も『このラテン的な明るい声は、もっと磨けばすばらしいものになる。これは父親からのプレゼントだし、神様からのプレゼントだ』と絶賛された。

 新垣は、この頃には歌の素質を評価され、未来に向けて扉が開かれてきていたように思える。しかし「過去を恨み続ける自分がいました。頭の中では許そうと思っていても、心の中は違う。それを繰り返していました」と言うように、葛藤を乗り越えることができず、ふっきれない。自分の存在価値を見いだせず、前に進む自信も持てないままだった。

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