2024年4月24日(水)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2014年3月4日

 ここ数カ月、中東の混乱は一層激しさを増しており、米国では多くの人が、中東の現状をオバマ政権の責任、或いは、少なくともオバマ政権が中東に対して「消極的」な態度を取ったことが、中東の混乱を引き起こした、と考えています。これに対して、実際のところは、中東が最も嫌うのは米国による介入である、とワシントン・ポスト紙コラムニストのザカリアが、1月17日付同紙コラムで述べています。

 すなわち、中東は、宗教改革の時代の欧州のように、宗派間対立の真っ只中にあり、それは歴史的、政治的背景に基づくもので、簡単に解決する問題ではない。

 現在の中東情勢を招いた3つの要因を以下に挙げる。第一は、中東諸国の構造的問題である。第一次世界大戦の戦勝国イギリスとフランスが、深い思慮もなく中東を分割、植民地化したことで、全く異質な集団が1つの国家として存在することになったことが要因である。宗主国は、少数民族出身者を統治者に選ぶ傾向がある。これは、抜け目のない戦略である。何故なら、少数民族が統治するには、外部勢力の助けを借りないといけないからである。

 第二の要因は、イスラム原理主義の台頭である。その原因は、サウジアラビアの台頭、及びサウジアラビアによる厳格なワッハーブ主義の輸出、イラン革命、中東の非宗教的な共和国が軍事独裁政権に移行する過程で発生した西欧への不信感など、さまざまである。例えば、ナセル大統領の時代のエジプトなど、中東の主要な国々は宗教国ではなかったが、政権の崩壊を経て、徐々に特定の宗派に依存するようになっていった。

 第三の要因は、米国が大きく関わったイラク侵攻である。中東における宗派間の対立を加速した原因が1つあるとすれば、それは、サダム・フセイン政権を転覆させ、スンニ派が権力を握る体制を完全に崩壊させ、イラクをシーア派の宗教政党の手に渡すというブッシュ(子)政権の決断である。当時の米国政府は、中東を変えるという考えに夢中で、宗派間の問題を軽視していた。当時の米国の政策の影響は今や明白である。シーア派がスンニ派を虐げるようになり、200万人以上のイラク国民(ほとんどがスンニ派とキリスト教徒)が、イラクには戻らない覚悟で国外に逃れた。イラクに残るスンニ派は、反政府勢力として反撃を開始し、より過激、且つよりイスラム主義的になっていった。シリアやシリアのスンニ派が急進化したのは、イラクの内戦の影響である。


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