オトナの教養 週末の一冊

2014年2月28日

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東嶋和子 (とうじま・わこ)

科学ジャーナリスト・筑波大学非常勤講師

元読売新聞科学部記者。フリーランスで環境・エネルギー、医療、生命科学、科学技術分野を中心に、科学と社会のかかわりを取材。主著に『名医が答える「55歳からの健康力」』(文藝春秋)、『人体再生に挑む』(講談社)など。新著に『水も過ぎれば毒になる 新・養生訓』(文春文庫)

 インターネットの普及、さらにいえば、スマートフォンの普及によって、誰もがいつでもどこでも手軽にネットワークにつながり、考えを発信することができるようになったことで、企業不祥事の受け止められ方が「ネット以前」に比べ、大きく様変わりしたように思う。

 たとえば、グループ傘下のホテルやレストランでの「メニューの誤表示」が、ホテル業界や外食産業のみならず、百貨店や小売業界まで巻き込んだ「食材偽装」問題に拡大した阪急阪神ホテルズの不祥事。

 あるいは、美白成分ロドデノールによる「白斑様症状」問題で、被害申告が1万人を超えたカネボウ化粧品の不祥事。

 提携ローンを通じての「暴力団向け融資」が、金融業界全体の「反社向け融資」問題に発展したみずほ銀行の不祥事。

 いずれも経営トップが記者会見でフラッシュの閃光を浴び、深々と頭を下げた。

 同じような「謝罪会見の光景」は、過去に何度も繰り返されてきた。しかし、最近の事例で変わってきたのは、事態を収めるためにした企業の危機対応が、逆に、火に油を注いだような結果を招いてしまったことだ。まさに、「炎上」である。

 どんな手を打とうと、いったん広がった批判は沈静化せず、燎原の火のごとく広がり、やがて非難やバッシングに変わる。問題の本質は置き去りにされ、懲罰感情や好き嫌いの感情で問題が単純化され、捻じ曲げられていく。

問題の起きた背景や原因に迫るために

 私は、リスク評価や製品安全の問題にも携わっているが、「シロかクロか」に単純化された懲罰感情から企業不祥事を批判するだけでは、問題の起きた背景や原因に迫ることはできない、と常々考えている。

 ましてや、失敗から教訓を得て、消費者の利益や安全性の向上につながるような改善策を打つことにはつながらないのではないだろうか。

 もぐらたたきのように、顔を出す不祥事をバタバタとたたくだけでは、もぐらはいつしか顔を出さないように地中深くもぐるであろう。問題の本質に向き合い、解決するのではなく、たたかれないようにふるまうことに注力するようになるのである。

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