世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2014年3月14日

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 1月27日付け仏ル・モンド紙で、Françoise Mengin仏政治学院CERI研究部長は、ド・ゴールが率先して中国との外交関係を樹立してから50年になるが、それだからと言って、フランスが対中関係において特別な地位にあるわけではないという現実を直視すべきである、と論じています。

 すなわち、1月27日、フランスは中国との国交50周年を迎えた。今後、2014年を通して、フランスでは、様々な記念行事が開催される予定である。

 中仏国交樹立50周年の記念の際によく引き合いに出されるのが、これを決めたド・ゴール将軍である。彼は、フランスが西側で初めて中国と対話を行ない、今日の世界の均衡を作ったとされるが、それは間違いである。

 1949年10月に共産党中国が設立されてから、1950年6月に朝鮮戦争が勃発するまでの間に、英国を含む西欧7か国は、早速、中国を承認した。フランスは、毛沢東政権がベトミンを支援していたので、承認を躊躇した。

 インドシナ半島とアルジェリアでの混乱が起こり、ド・ゴールの構想は、国家独立政策の中に組み込まれていった。中仏国交樹立に関して、ド・ゴールは、「条件も前提も付けない合意に達するように」と指示した。その事は、1964年1月27日の簡潔な共同声明に読み取ることが出来る。「フランス共和国政府及び中華人民共和国政府は、外交関係を樹立することを共に合意することを決意した。その結果、両国は、3か月以内に大使を任命することに合意した。」

 相互承認の明記はどこにもない。すなわち、あえて台湾問題にも、中華人民共和国の国連加盟にも触れていないのである。台湾との国交断絶は、台湾側に決定を委ねたのだろう。ところが、フランスは最初から台湾に対する中国の主権を承認したと言われてしまっている。

 更に、多くの人は肯定しているが、中仏国交樹立によって中国の孤立からの脱却が促進されたわけではない。それは、1970年のニクソン訪中を待たなければならなかった。その後、多くの国が中国を承認し、中国は1971年10月25日、台湾に代わって国連に加盟したのである。

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