米国の日本経済研究第一人者は語る
「日本人よ もっと外の世界へ飛び出せ」

米コロンビア大学名誉教授 ヒュー・パトリック氏


Wedge編集部

【WEDGE創刊25周年特集】英知25人が示す「日本の針路」

1989年5月号の創刊から、弊誌も今年25周年を迎えた。創刊後、ベルリンの壁崩壊、湾岸戦争勃発、バブル崩壊、55年体制の崩壊、米国同時多発テロ、アラブの春、東日本大震災……、実に様々な出来事が国内外で起きてきた。89年当時、日本がその後迎える「失われた20年」を予想し得た人は、どれだけいただろう。後ろを振り返っている時間は今の日本にはない。日本が「失われた20年」を二度と繰り返さないために、どういった方向に進んでいくべきか、国内外25人の“英知”がそのヒントを提示する─。

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米コロンビア大学「日本経済経営研究所」所長で、米国における日本経済研究の第一人者が語る将来の日本経済の発展にとって必要なもの─。

─40年近く前に『アジアの巨人 日本』(日本経済新聞社、原著は1976年刊)を編纂されたわけですが、あの時、90年代以降の日本経済の停滞を予測されていましたか。

 もちろん、予測していなかった。ただし、当時の日本は、先進国へのキャッチアップ過程として高い成長を達成していたから、いずれ成長率が低下するのは当然と考えていた。

 高い技術吸収力、有能な労働者を有しているから、アメリカとの技術の格差が大きい中では、急速な追いつき型の成長ができるのは当然のこと。さらに、十分に能力を活用できていない労働者が農村に大量に滞留していた。彼らの能力を活用したから、さらに成長率を高めることができた。しかも、消費者向けの製品で素晴らしい技術革新を続けていた。これをどれだけ続けることができるかが、高い成長率を続けるために重要と思っていた。やがて普通の成長率になるのは不可避と思っていたが、90年代以降、これほど成長率が低下するとは考えていなかった。

 金融財政両面で刺激策を取ったのに、経済が正常な状態に戻ることはなかった。20年以上も停滞が続いたのは、ショックだった。

 日本銀行が十分な金融緩和をしなかったのは、銀行が大量の国債を抱え、金融緩和で景気が良くなればやがて金利が上昇し、国債価格が低下する。だから、日銀は金融緩和に踏み切れなかったのだという説がある。

 現在は、大手銀行は国債の保有を減らして安全な状況にあるようだ。だから、金融緩和をしても大丈夫なのだろう。日本の金融政策が既得権益に影響されていたわけである。

Hugh Patrick( ヒュー・パトリック )米コロンビア大学名誉教授。1930年生まれ。84年、米コロンビア大学教授に就任。86年、同大学ビジネススクールに「日本経済経営研究所」設立。米外交問題評議会委員。(聞き手・撮影 原田 泰〔早稲田大学政治経済学術院教授〕)
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