障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2014年4月24日

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 だが、生来活発な性格なのか、小学校1年生から少年サッカーチームに入り、学校の休み時間は鬼ごっこやケイドロ(警察と泥棒の意。地域によってはドロケイや悪漢・探偵という呼び名で親しまれている遊び)、ドッヂボール、キックベースなど常に外で遊んでいた。柔道や剣道のように身体に衝撃を受けるスポーツは避けなければならないが、それ以外のスポーツは野球のフライやバレーボールなど空中にあるボールが見えづらいことはあっても、ほとんど視力による不自由を感じたことはなかった。

川村怜さん(撮影:編集部)

 「7歳のときにガンバ大阪vsジュビロ磐田の試合を見て以来ジュビロ磐田、特に中山雅史選手のファンになったのですが、本格的にサッカーにはまったのは、ワールドカップフランス大会をテレビで見てからです。選手の名前を憶えはじめてサッカー熱が少しずつたかまっていきました。小学6年生の頃には『将来の夢はサッカー選手になること!』と言っていました」

 そんな川村だから当然中学進学後もサッカー部に入るつもりだった。しかし、体験入部したサッカー部のレベルの高さに驚いた。進学した中学は地元でも有名な強豪校だったのである。フルコートでパスのスピードも速く、苦手な空中戦もある。サッカー部の顧問からは「厳しいんじゃないのか」と言われ、川村自身も自分のレベルでは難しいかもしれないと感じた。最後は両親と担任の教師とも相談し、サッカーは断念した。そこで第2希望だった陸上部に入った。

 瞬発力はないし、かといって長距離はつらいという理由から選んだ種目は中距離だった。

先生や仲間に助けられながら

 しかし、実際に始めてみると最初はサッカーほど夢中になれず、練習に励む周りを見ると自分だけが置いていかれると思い、あまり面白いとは感じなかった。そんな理由で練習から遠ざかっていった。だが、それも中学2年生に上がる頃になると先輩や後輩との人間関係が楽しくなり競技自体も面白いと感じられるようになった。

 ただどうしても弱視としての制約はあった。

 「木陰で陽の光がキラキラしたり、夕方暗くなってくると見えづらくて怖いという感じはありました。夜も全力では走れませんでした。でも当時はそれを障害と自覚していたわけではなかったんです。とても人間関係に恵まれていて、先生の配慮や仲間のサポートにも助けられて競技を続けられました」

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