この熱き人々

2014年7月9日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 「人間は罪業の深いものだという親鸞の説には共感できたんだけど、南無阿弥陀仏で救われるというのは全然受け入れられなかった。大学でも仏教青年会に即刻入って、釈尊の人間認識に共感はしたけれど、自分が明るく前向きに人を信頼するところまでは行けなかった。ずっとそこに行きたかった」

 あまりに切実な10代の日々、恩田の手は詩集や句集にも伸びていた。今、恩田は、俳人として確かな居場所を生きている。俳句という表現世界で、縦横無尽に生きている。末期の眼がとらえたさりげない日常の中の人間の美しさが恩田の命をつないだとしたら、人の心を切り裂く言葉の恐ろしさから言葉の光明へと誘う光を、俳句の中に見出したということになるのではないだろうか。そうだとするなら、それはどんな句だったのだろうか。

 「胸に飛び込んできたものがありました。中村草田男(くさたお)の『會(あ)へば兄弟(はらから)ひぐらしの聲(こえ)林立す』。今、自分は学校で明るくしてても、誰にも打ち明けられない悲しみを抱えてとっても苦しい。でもいつかそんな苦悩をわかってくれる同胞のような誰かに出会える時が来るかもしれない。きっとその時に、ひぐらしの声が苦悩や孤独を溶かしてくれるんじゃないか。ひぐらしの声が天上に向かって透き通った柱のように限りなく立っている。私にもそんな時があるのかって励ましを感じた。俳句ってこんな短いのに、一瞬にしてその世界に入っていける。面白いなあと思いましたね。夏の川原でいつも聞いていたひぐらしの声を、こんなふうに結晶させることができるんだと思った。私、癒しという言葉は嫌いだけれど、詩歌や文学って、本当に絶望している人に届くのが本物だと思う」

 絶望していた恩田に、17文字からの救いと希望が確かに届いたのだ。一字一句がまさに誰かの一大事に深くつながっていく。俳人としての原点までも、この瞬間にとらえていたということになる。

俳句で世界と向き合う

 一時は言葉のない陶芸の世界に居場所を求めた恩田が、俳人として生きる決意を固めたのは、土を練り腕に筋肉が付き始めた頃だったという。突如、慢性の重い腎臓病と診断された。2カ月の絶対安静の入院生活。5年ほどで透析生活を余儀なくされるかもしれない。そうなると、当時は最長でも15年しか生きられなかった。懸命に生きようとしていた生が一気に期限付きになった。が、恩田は今、透析をせずに普通の暮らしができている。おそらく誤診か、予後の判断ミスだったのだろうか。だが、28歳の恩田には、その宣告が大きな転換点になった。

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