「障害を受け入れない」という選択
車椅子からの卒業を目指して

宇野将史さん (ラグビー選手 東芝)


大元よしき (たいげん・よしき)  ライター

1962年東京生まれ。外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆中。著書に『あの負けがあってこそ』『命のバトン―自閉症児と個性派不登校児の教室』『1万回の体当たり―タックルマン石塚武生 炎のメッセージ』(以上ウェッジ)、『一緒に見上げた空』(扶桑社)。

障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

世界最高峰の障害者スポーツ大会『パラリンピック』を目指すアスリートたちの「乗り越えてきた壁」に焦点を当て、スポーツの価値や意義を問うと共に障害者アスリートを取り巻く環境について取材していく。

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その時は突然やってきた。 

 関東大学ラグビー、中央大学対東海大学戦の後半1分。

 キックオフから中大フォワードが前進を続け、パスアウトされたボールを宇野将史が持ち込みラック(密集戦)から素早いアタックを仕掛けるつもりだった。

 しかし……

 「ゴリゴリッという音がして一瞬ブラックアウトしたんですが、自分が持って突っ込んだので目の前にはボールがあってよく見えているんです。その後ボールが出て、みんなが次のポイントに向かって行くのも見えているんです。それなのに僕だけは動けない。痛みはひどくないし、熱いという感覚だけだったから起きようとしたんですが、どうしても動けない。いくら起き上がろうとしても、身体に感覚がないんです。『やばい、動けへん。俺おわったかも……』。あの時はそう感じました」

宇野将史さん

 走り寄ったトレーナーから「全く動いていないけど、どうした?」と聞かれ「動けない」とだけ応えた。自分では動こうともがいているつもりでもピクリとも動けなかった。

きつい練習に泣いた小学校時代

 宇野将史。兵庫県生まれ。

 生来活発な宇野は小さい頃から外で遊びまわるのが好きで、いつも何かしら身体を動かしているような子だった。

 4歳のときに阪神淡路大震災に遭い、その影響で神戸市から西宮市に引っ越した。そこで最初にできた友達に誘われて西宮ラグビー少年団に入ったのがラグビーとの出合いだ。

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「障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた」

著者

大元よしき(たいげん・よしき)

ライター

1962年東京生まれ。外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆中。著書に『あの負けがあってこそ』『命のバトン―自閉症児と個性派不登校児の教室』『1万回の体当たり―タックルマン石塚武生 炎のメッセージ』(以上ウェッジ)、『一緒に見上げた空』(扶桑社)。

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