経済の常識 VS 政策の非常識

2014年8月18日

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 ヒトラーが政権を奪取した1933年までで米国のノーベル賞(1901年発足)受賞者は5人(自然科学系のみ)しかいなかったが、その後はほぼ毎年受賞者を出すようになり、2013年では6人である。米国は、自由の女神の台座にある「嵐に弄ばれた人びとを送り届けよ」という、人道主義の言葉に従って、その知力を高めたのである。

タダ乗りはいけない

 確かに、外国人労働者が、元気に働いて税金と保険料を払い、医者に掛からず、福祉の世話にならず、歳を取ったら年金ももらわず故国に帰ってくれれば日本の利益となるだろうが、そんなうまい話があるものだろうか。そもそも、そんなうまい話があると思うこと自体、恥ずかしくないのだろうか。

 移民に対する対応には、同化と出稼ぎ主義と多文化共生主義がある。同化とは、完全に日本人になってもらうという意味である。出稼ぎ主義とは、故国の文化を維持したままでかまわない。日本はそれに関知しないということである。多文化共生とは、異なる文化を相互に理解し、日本のためにも活かすということである。相撲と野球とサッカーで考えれば分かりやすいかもしれない。

 慶應義塾大学の中島隆信教授が指摘するように、相撲は完全な同化を求める。なったら、同じ権利を与える。横綱にも親方にもなれるし、部屋も持てる。しかし、小錦や朝青龍のように、その枠からはみ出る大関、横綱も生まれる。野球の外国人は助っ人で、故国の文化を維持したままの出稼ぎである。

 サッカーは、理想的には様々な文化が流入して、日本サッカーを強くする触媒になるのが外国人選手に求められていることだろう。ワールドカップで、日本がコートジボワールのディディエ・ドログバ選手にあっさりやられたのは残念だったが、バブルのころなら、大枚をはたいてすぐさまドログバを日本に呼んでいたのではないか。普段から、あんな選手を相手にしていれば、慌てない強い日本になれる。これが多文化共生である。

 日本は海外からの人材に何を期待しているのだろうか。海外人材にタダ飯ありというよこしまな考えを捨てれば、同化と多文化共生主義しかない。出稼ぎ主義で、日本の中に、日本の関与しない様々な地域ができてしまうのは好ましくない。その人口がわずかであれば何の問題もないが、人口減少を補うほどの定住者が入ってくるのであれば、この選択はありえない。

 同化ではなく、多文化共生主義でも、定住者に日本を理解してもらうことは必須である。そのためには、言葉の習得は欠かせない。特に2世にはそうである。しかし、当然ハンディを負っているのだから、学校が特別な手当てをしなければならない。お金がかかるが、その費用は誰が負担するのだろうか。私は、その費用は親を雇っている企業が負担すべきと思うが、企業は負担していない。タダ乗りしているのである。

 日本は、人道主義に則ることで知力を高める機会を逃した。実習制度はウソである。外国人労働者の雇用はタダ乗りである。ウソとタダ乗りでうまくいくはずはない。

◆Wedge2014年8月号より









 

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