ルポ・少年院の子どもたち

2014年9月5日

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 急性期治療が終わり、「元の生活に戻れるんじゃないか」と希望を持ってリハビリ病院に転院すると、

 「二度と歩くことも立ち上がることもできないでしょう。残された機能を使って、車椅子で生活するためのリハビリを始めます」という医師からの告知。

 「18歳ですから、みんなと同じくらいの年齢で、君は一生車椅子生活になると言われたのです。ラグビーで花園に出ることが夢だった僕にとって、それはあまりにもショックな言葉でした。厳しい現実を突きつけられて泣くことしかできません。ですが、どんなに泣いても叫んでも何も変わりません。翌日から辛いリハビリが始まりました。服を着るのに1時間、ご飯食べるのに2時間も掛かるんです。何をやっても時間ばかり……」

 三阪は夢を失うどころか、未来の全てをも失ったような気持ちになり2度自殺を試みた。しかし、どうしても死ねなかった。それは車椅子で生きる道を選んだということである。

プレー中の三阪さん

 「毎日リハビリしているうちに少しずつですが出来ることが多くなってきました。そんな頃に作業療法士からウィルチェアーラグビーを紹介され、ビデオを見せてもらいました。最初これはラグビーじゃない!とも思いましたが、車椅子同士が激しくぶつかり合う音を聞いた瞬間に“やりたい!”と思ったのです」

 車椅子によるコンタクトスポーツ。この激しい衝撃音が三阪の停滞していた思考を再び前へ向かわせた。

 しかし、退院後に感じた社会は障害者には厳しかった。ちょっとした段差でさえも一人では越えることが出来ず、また、周囲からの視線に過剰に反応するようになり、怖くて表に出られなくなった時期もあった。 

 ウィルチェアーラグビーの時だけは唯一生きていると実感することもできたが、それ以外では心を閉ざし、家に引きこもるようにして1年近くが過ぎた。

「僕が掴んだもの」

 そんな時だ。

 「このままでいいはずがない。俺は変わりたい」「このままでは周りに甘えてしまう。自分を変えるには、誰も助けてくれない環境に行くしかない」という思いが募った時に、両親の反対を押し切ってニュージーランド留学を決めた。

 この決断が三阪の人生を劇的に好転させた転換点である。

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