ルポ・少年院の子どもたち

2014年9月5日

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 最初は英語が怖くて周囲とコミュニケーションが取れなかったものの、「このままじゃ帰れない」と固まっていた自身の殻を破り、身振り手振りで積極的に意思を伝え、行動した結果、学校でもチームでも認めてくれる仲間が増えていった。練習中にわからないことがあれば、何度でも質問して理解できるように努めた。

 「この身体でも頑張ればいろいろなことができることを知りました。確かに現実に出来ることと出来ないことはあります。でも頑張れば少しずつでも確実にできることが増えていくのです。それを知ったら自信が出てきて、事故後にやっと自分が好きになれたし、自分に期待が持てるようになりました」

 その後、2003年にウィルチェアーラグビーの日本代表に選ばれ、ワールドカップにはキャプテンとして出場し、パラリンピックにもアテネ、北京、ロンドンの3大会連続出場を果たした。夢の形は変わったが活躍の場を広げ、アスリートとして世界に挑むまでになった。

少年たちへのメッセージ

 「僕が掴んだものは、自ら動き出さなければ何も変わらないという実感でした。待っていたり、諦めてしまっては何も変わりません。また、自分を信じてあげられるのは自分しかいないということです。自分を変えられるのも自分だということです。それはみなさんも同じです」

 「チームに必要なことは自己犠牲の精神と自分を理解して適材適所で活かすことです。これはスポーツに限らず社会でも同じことが求められます。自己犠牲の気持ちで自分を活かしていけば、かならず認められるはずです」

 三阪は最後に願いをこめて、

 「怪我をしたあと日本代表になって成功体験と言えるようなことがあっても、怪我をして良かったなどと思ったことは一度もありません。生きているのがしんどいと思ったことは一度や二度ではありません。それでも死なせてくれなかったし、死に切れませんでした。そして僕は自ら生きる道を選んだ」

 「障害を負った僕にも出来るんだから、みんなはもっといろいろなことが出来るはずです。親からもらった健康な身体があるのだから、諦めずに自分の可能性にチャレンジしてほしい。人の可能性は無限大だ」

 と講話を締めた。

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