2024年4月24日(水)

東大教授 浜野保樹のメディア対談録

2009年6月27日

細田 両方、でしょうか。僕の実家は富山の上市町(かみいちまち)という田舎で、そこで僕は絵がちょっと得意で。

身振りを交えて話す細田監督

司会 田んぼのいっぱいあるところですか。

細田 ええ、田んぼのたくさんあるところです。その中で絵を描いて、絵ばかり描いていたんですけど、そんな中で別の世界を、何かこう、動植物の、バッタか何かの目を自分の目にして垣間見ていたということはあるのじゃないかと思います。

浜野 どういう絵を?

細田 風景画が得意だったんです。いい風景が、いっぱいありました。
何もない田舎です。立山連峰がこう、屏風のように連なって。そういう景色の中でお寺とか、民家の庭先の様子とか、そういう絵を描いていました。絵を描くことを通して、違う世界に近づきたいという気持ちはとても強くあったと思います。

司会 ここで伺いたいのですが、「時をかける少女」のことを聞くと10人が10人、同じことを言うだろうと思います。それは、「東京って、こんなに美しかったのか」ということです。あの映画を見終わって目をつぶると、急な坂道の様子、そのはるか向こう、立ち昇る入道雲。…みんな浮かんできます。そして感動がこみあげるあのシーンですけれども、あれは荒川ですよね。

細田 ええ。東京中探しまわって、荒川の土手で、向こうに首都高の高架が見えてという、あそこだと思いました。

司会 東京というのは確かに夏の、あるかけがえのない一瞬、こんなに美しくなり得るんだな、とそう思わせます。そしてそれが、主人公の心の風景になっている。伺いたいのは、アニメにおける風景とは何か、ということです。

身の回りの景色こそが美しい

 (C)「時をかける少女」製作委員会2006

細田 『時をかける少女』という筒井康隆作品は、大林宣彦監督、原田知世主演の1983年作品を覚えてらっしゃる方が多いでしょうけど、南野陽子さんがやったり、内田有紀さんがやったり、何度も映像化されています。でも時代がどんなに変わったって、時間はやっぱりかけがえのないものだし、心の動きを景色に投影させて、美しいなと感動するということに、違いはないと思うんです。

  その景色というのは、身の回りのありふれた場所でいいし、むしろそういう身近な場所のいとおしくなるような美しさを感じて欲しい。そう強く思っていました。

浜野 細田作品には異次元の世界が確固としてあるから、現実を描くとき逆に非常なリアリティーをもたせるんだと思います。異次元の存在を確固とするには、現実描写を同じくらい、むしろそれ以上に描き込まなくてはならないという、そういう戦略性を感じますね。それでああいう美しい風景描写になる。

司会 それにしても日本のアニメ映画では映像美の少なくない部分を風景描写が引き受けていますね。ほかの国のアニメもそうなんでしょうか。それとも日本アニメの、一つの特徴ですか?

浜野 黒澤明監督が若い頃、やはり画家を目指していました、細田監督みたいに。当たり前だけど、絵画は二次元の、静止画像でしょう。画家はその平面一つで、物語ってしまわないといけない。 

 「時かけ」ラストのシーンには背景があって、人物がいるけれど、セリフなんてほとんどない。でもそこに物語がある。風景に託された物語がね。

 黒澤監督の作品もそうで、「内容が同じなら短いほうがいいに決まっている」とよく仰っていました。なぜならワンカット、ワンカット、絵に物語る力があるから、多くの説明が要らない。でも「時かけ」は、外国でわかるのかなあと思っていたけど、このあいだ東欧に行ってみたら随分見られている。「違法」コピーで、ですけどね。

 ともかく画家をめざしてトレーニングしたから、黒澤監督は1枚の絵で物語ることができた。細田監督も同じだと思う。

司会 そしてその特徴――「絵」で語る、「風景」で語るという特徴は、これは日本のアニメ映画に特有のものですか? 例えば同じ入道雲にしても、陰影の細かいところまで実によく描き込むのが日本のアニメですよね。同じことはほかの国だと…。

※文中敬称略
第3回につづく>

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