WEDGE REPORT

2014年10月25日

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異国の地で獄中死した父親の遺志を胸に秘めて自衛隊に飛び込み、組織の中心で屋台骨を支えてきた工学博士号を持つ元陸将。大きな転換点を迎えようとする自衛隊を、大先輩はどう見ているのか─。

 「自衛隊に入ったきっかけは、死んだ父からの手紙でした」

志方俊之(しかた・としゆき)
1936年生まれ。58年防衛大学校卒業。68年京都大学工学博士。在米日本大使館防衛駐在官、第2師団長等を経て、90年北部方面総監。92年退官。退官後、帝京大学法学部教授。内閣府 中央防災会議専門委員、東京都災害担当参与も歴任。(写真・阿部卓功)

 防衛大学校2期生として入学し、1954年の自衛隊発足直後からの組織を知る志方俊之さん(78歳)。自身が防大に入学した経緯を教えてくれた。

 「軍人だった父は終戦後ソ連の捕虜収容所に入り、48年に獄中死します」

 志方さんの父親は母親宛てに遺書を残していた。父親と一緒に抑留されていた戦友が日本に帰還し、母親の実家に帰省していた志方さん家族のもとへそれを届けてくれたのである。

 「非人道的なソ連軍に対して息子に仇を討つように。日本が再軍備していれば、軍隊に入れるように、と書いてありました」

 父親の遺志を胸にしつつ、12歳の志方さんは、6年後、学費不要で家計に負担も少ない防大へ入った。

 防大卒業後、幹部候補生学校と部隊で2年を過ごした志方さんは、旧軍が技術軽視によって敗戦したと考え、京都大学大学院の工学研究科(土木工学)修士および博士課程に進学する。

 「実験を繰り返し、既知なるものから未知なるものを導き出すことの重要性を学びました」

 大学院進学前の59年、志方さんは、茨城県古河駐屯地の第一施設大隊に三等陸尉(少尉)として着任した。自身の部隊を率いて災害現場へ初めて足を踏み入れたのが伊勢湾台風であった。死者・行方不明者合わせて約5000人に及んだ大規模高潮災害であった。

 「すべてが水に浸かり、無数の遺体がプカプカと浮いている凄惨な状況でした」

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