WEDGE REPORT

2014年10月31日

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 「子どもになぜここにいるのか説明ができない。このままでは子どもたちが双葉町を忘れてしまう」

2012年1月、避難先のいわき市内の仮設住宅で開催された「ダルマ市」

 そんな思いから、中谷祥久さん(34)は、震災の年のうちに「夢ふたば人」という団体を立ち上げた。毎年1月に開かれる故郷・双葉町の祭り「ダルマ市」を絶やしてはいけないと、2012年1月、避難先のいわき市内の仮設住宅でだるま市を開催した。子どもたちには笑顔が戻り、懐かしい音色、光景に涙ぐむ高齢者もいたという。「こういう取り組みを続ければ、地元住民と避難者のわだかまりも少しずつ消えていくのではないか」と中谷さんは語る。

避難指示区域見直しと賠償金の多寡

 「今までも住民は許可証があれば入れた。この開通で入れるようになるのは住民以外の人。野次馬や泥棒が増えるのが怖い」(浪江町のある女性)

 9月15日、双葉郡の沿岸部を走る国道6号線が全線開通した。原発事故以来、最後まで通行止めとなったままだったのは、帰宅困難地域にある浪江町~富岡町間の14キロ区間。幹線道路の分断解消で復興の加速につながると評価する声がある一方で心配する向きもある。

9月15日に全線開通した国道6号線。以前はここから先は許可証がないと入れなかった(富岡町内、撮影・編集部)

 開通といっても、6号線から分岐する小道にはバリケードが設置されたままだ。9~17時の間は許可証をチェックするガードマンが配置されているが夜間は警察の巡回がある程度。14キロ区間は通過するためだけの道路であり、延々と続く黄色点滅の信号が他のエリアとの違いを印象付ける。

 「この道を越えると……」

 事故以来、何度この表現を耳にしただろうか。双葉郡の人々は、故郷を追われた上に、つくられた分断に悩まされてきた。道のあちら側は、夜間居てはいけない。そもそも立ち入りに許可が要る……。多くの避難者が住むいわき市や南相馬市では、賠償金の有無という分断があるが、双葉郡の人々の間には賠償金の多寡という分断がある。

 もともと福島第一原発から20km圏内は一様に警戒区域だった(飯館村などは計画的避難区域)。11年12月に福島第一原発が冷温停止状態を達成したことを受け、住民の帰還に向けて政府は避難指示区域の見直しを開始した。事故後1年の段階で、空間線量率から推定した年間積算線量が50mSv超なら帰還困難区域、20~50mSvなら居住制限区域、20mSv以下なら避難指示解除準備区域という3区分である。しかし、この区域見直しは結局13年8月までかかることとなった。

 機械的に割り出される数値で区分されるはずなのになぜこれだけの時間を要したか。最大の理由はこの区分によって賠償金に差がついたからだ。

その2に続く)

  
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