あの負けがあってこそ

2014年10月30日

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 入部当時の京都大学バレーボール部は4部リーグだった。進学校のために部活一辺倒の生活ではなかったものの、中学、高校とキャプテンを務めてきた竹内はコートの中では常に全身全霊を傾けてきた。そこで培われたリーダーシップや責任感は、生来の真面目さと相まってストイックに勝利を求めた。ゆえに選手個々の競技経験が浅く、決して強いとは言えないチームが勝つためには、厳しい練習環境に自分たちを置かなければならないと考えていた。

 しかし、竹内にとってそれが当たり前でも、他の部員たちとの意識の違いが溝となり、ひとり孤立してしまったのかもしれない。

 竹内が1年の夏、4年生部員が引退したことを機に求心力を失ったチームからは、ひとり、またひとりと選手が離れていった。

 「チームとしてもっとこうしようとか、こうあるべき、と自分の考えを押し付けてしまったことがあったのかもしれません。そういう雰囲気の中でみんな息苦しさを感じてやめてしまったと思っています。私はその過程で他のメンバーが楽しくないと感じていながら、きちんと向かい合って話し合うことすらできませんでした。いろいろな意見があるのはわかるけど、チームなのだから我慢しないといけないとか、わがまま言っている方が悪いという気持ちがあったのだと思います」

 「耳の痛いことを聞くような態度でもなく、私はこんなにチームのことを考えているのだから、周りと話さなくても許されると思って同級生たちとのコミュニケーションを避けてしまったのかもしれません。私にはみんなを止めるために出来ることがあったはずなのに、それをしてこなかったと今は強く感じています」

部員2人でもできることを模索した

 同期は竹内を残し全員が退部した。その後、入部した1年後輩たちも退部し、大学3年生となった竹内は、1年生部員2人を迎え競技人生で最悪の時を迎える。

 「人数が減っていくなかで、なぜこうなったのだろう、何が上手くいかなかったのだろうとコミュニケーションが取れなかったことを漠然とですが悩んでいました」

 「あの頃は耳に痛いことを言われれば怒って反発していましたし、先輩にも相談しましたが、自分に気持ち良いことしか受け入れなかったのだと思います。結果、みんなが辞めてしまうまでそんな自分に気づけなかったのです」

 かろうじて公式戦を辞退するには至らなかったものの4部リーグから6部リーグにまで下がった。

 4年生が引退し、入部した1年生のひとりが一時病気で部を離れたことによって、バレー部は竹内と残りの1年生の2人だけになった。時折引退した4年生が練習に参加したが、基本的には2人でメニューを組まなくてはならなかった。

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