この熱き人々

2014年11月18日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 「有名店に庄内や山形の食材を使ってもらうのにね、そこのシェフが葉物が得意か、根菜好きか聞いておいて、冷蔵庫の大きさと席数見て、冷蔵庫の大きさに合わせた段ボールで送る。そのままストンと入るようにね。その店が庄内の農産物のおいしさを発信してくれて、お客さんが庄内ってどこ? って関心を持ってくれる。その評価が生産者を勇気づけて、しっかり農業で生きていけるようになる。庄内のために一生懸命頑張っていたら自分の店にも人がいっぱい来てくれるようになったし、たくさんのすばらしい仲間とも出会えました」

 この強い庄内愛は一体どこから生まれているのだろう。以前、プロフィールを調べたら、出身地は山形と新潟の県境と記されていたのを思い出す。

 「店をやっていた親父が男気出して無記名の手形を信用していた人に渡した結果、1億数千万の借金抱えて倒産してしまったんです。僕が21歳の時。家も店も失って、借金を一家で返すしかない。そんな時に、ひとりだけ借金をチャラにしてくれた人がいたんです。庄内の人でした。本当にありがたかった。オヤジの借金抱え、内装は自分で、食器は100円ショップで、コンロの火力不足はアルミで補強して、アル・ケッチァーノを始めた時に、半年間鳩をただで提供してくれた人もいた。お金を返しに行ったら、そんなもん受け取らんって。庄内は、奥田家や僕を助けてくれた恩人の土地。恩返しをするために、庄内を生産者の人が夢と希望が持てて安心して農業ができる生産地にしようって決めたんです」

 奥田の父親は、山形と新潟の県境を走る国道7号線沿いでドライブインを営んでいた。かつ丼、刺身、焼き魚、岩牡蠣のフライ、何でもおいしいと評判で、出羽三山詣での観光バスやトラック運転手、遠方から評判を聞いて訪れる客で大繁盛していた。奥田は、毎日店で父の料理を食べて育ったのだという。

 「何を食べても本当においしかった。味わいのある料理っていうのかな。高校の頃は父に反抗していたものだから、将来の希望は情報処理関係かって思っていたんです。でも、なかなか決めきれずに、先生からあと30秒で決めろと迫られた時、思わず料理関係と答えていた。和では父に勝てないから洋、で、フランス料理希望」

 思春期の父への反発の殻を30秒の刃が突き破って、父への素直な尊敬と料理への思いが飛び出した。そして、その決心が東京での修業という次の行動を生んだ。

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