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2009年7月15日

 屋久島に生まれた高田は、幼少期に父が病で倒れるなどで、貧しさの中に育った。弟と2人、学校にも行けずに山や海を歩いて食べ物を探す毎日だった。惨めで、いつ死んでもいいと思っていたが、17歳で山仕事を始めたことで食べていけるようになったという。島の山にお返しをという冒頭の言葉は、そこから来ている。

 身に纏う衣類さえなかった弟のために、近所のおばさんが自分の着物をつぶして下着をつくってくれたこともあったという。「その人たちに直接、いただいたものを返すことはできませんが、何らかの形で世の中にお返ししたいと思ってきました」と言うのも同じ気持ちだろう。自然でも人生の先輩でも、そこからいただいたもので自分は生きてきたという実感が、次の世代に何かをつなごうとさせるのだと思う。

 もう一つ、「どっちみち裸で生まれてきたんだから、裸で生きればいいと思っています」という言葉からも、高田の思いが伝わってくる。屋久島の巨木を前にしたときに人間の小ささを感じるように、自然の中で生き、その恵みで生かされてきた高田には、人が持つべき弁えがある。過分に食い尽くす強欲さではなく、自分の代の分け前をいただき、足りなければ皆で助け合うので十分じゃないかと、高田は思っているのだろう。

 その高田に、若い人もついていく。

 「何も言わなくても、若い衆もスギの苗を植えたりしています。なかなかこれ、いいなあと思います」

 目先の利得を追うのではなく、親方である高田の真似をしたいと、皆が思う。それは高田が尊敬されているからだ。山の現場は命の駆け引きをするところだ。少しでもタイミングや角度がずれたら、生死に関わる。だから技術や判断に秀でる高田は絶対的な存在だ。『自分より格が上の人に近づいて、成長したい。高田さんは、そう感じさせる人』という声が聞こえるのもよくわかる。近づいて真似をしているうちに、その人が自分にも染み込み、同じように考えたり行動したりできるようになるのだろう。

 無償の労によって森を守ってきた高田の姿から、世話になったらどう返すかを忘れて自分がいる間だけよければいいと考えて生きるなんて恥ずかしいということを、人は気づかされる。そんな高田が尊敬され、周りがついていくことで、次代に何かをつなごうという思いの連鎖が始まる。「1000年後、森は昔の姿に戻るという夢があります。若い衆にも『1000年後、見てみろや』って、いつも言っています」。その夢は、同じ思いの人々が1000年かけて連ならなければ、なしえない。でも、その連鎖は確実に生まれている。

 若き木こりは焼酎に酔いながら、『俺も社長(高田)に会って、考えが変わった。社長のこと、俺が広めたい』と熱っぽく語ってくれた。筆者も酔いながら思った。自分を満たすので精いっぱいという人がたくさんいる世の中だけど、自分以外のことを考えて生きるカッコいい人がいれば、澱んだ空気が動き出すと。(文中敬称略)

 ◆「WEDGE」2009年7月号

 

 

 
 

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