2024年4月20日(土)

韓国の「読み方」

2014年12月3日

 発端は、2008年から2009年にかけて話題となったニュースだった。インドネシアの離島に住む文字を持たない少数民族・チアチア族が、民族語を表記する文字としてハングルを使うことにしたというものだ。当時、日本メディアでも取り上げられたので、覚えている人もいるかもしれない。韓国からの経済援助や企業誘致につなげたい地元と韓国側の思い入れがすれ違ったりして、結局はうまくいっていないのだが、当時は、チアチア族代表の訪韓などといったニュースも韓国では大きく報じられていた。

 2011年に2回目のソウル勤務を始めた私は、このニュースの「その後」が気になって取材してみた。新聞というのは「新鮮なニュース」が優先されるので、数年前の話題を追っても記事にできるとは限らない。この時は実際、記事にできなかったのだが、それでも取材してみたかった。そもそも、誰が、どんな考えで、こんな事業を始めたのだろうかと不思議に思っていたからだ。

 そして、いろいろな人に話を聞いていくと、最後に一人の女性にぶつかった。

 李基南(イ・ギナム)さんという。1934年生まれ。私が話を聞いた時には77歳だったが、ソウル都心の高級住宅街にある立派なお屋敷の居間に韓服(チマチョゴリ)の正装で現れ、はっきりとした口調で質問に答えてくれた。背筋を伸ばした姿からは、育ちの良さを感じられた。

文字を持たない民族にハングルを

 李さんは、世宗の直系だという。後で調べたら「世宗の直系」を名乗る人は何万人もいるらしいのだが、とにかく家系図ではそうなっている。李さんの父は、日本の植民地時代に英語教師をしていたが、世宗の子孫としてハングルに強い愛情を抱いていた。日本の植民地になって約30年経ってから学校教育を受けた李さんは、学校ではハングルをほとんど習わなかったが、父から教え込まれたという。

 李さんは「(日本の敗戦で植民地支配が終わった時)国民学校4年生だったけど、クラスでハングルをきちんと知っているのは私だけだった。だから、私がみんなにハングルを教えた」と自慢気に話した。その父は、「文字があってこそ民族性を保てる」という強い思いから、文字を持たない民族にハングルを普及させたいと願っていたそうだ。

 南東部・大邱出身の李さんは地元の大学の師範学部を卒業し、大学付属の中学校の教師をしてから、結婚してソウルに移り住んだ。そして、高度経済成長期の開発ブームに乗った不動産投資で巨万の富を築くことになった。今では高級住宅街として知られるが、当時は何もない湿地帯だったソウル市南部狎鴎亭(アプクジョン)の土地1万坪を1961年に買ってから、面白いように財産が増えていったらしい。


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