あの負けがあってこそ

2014年12月18日

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 島川は2001年からウィルチェアーラグビー日本代表を務め、その間、2005年には本場アメリカに活動の場を広げ、そのシーズン(2005~2006)は「フェニックス・ヒート」の一員として全米選手権で優勝し、年間の最優秀選手に贈られる「アスリート・オブ・イヤー」を外国人選手として初めて獲得した。その後2007シーズンには「テキサス・スタンピート」のメンバーとして再び同選手権を制し、アメリカ滞在中に多くの大会でMVPを獲得するほどの成績を収めている。

 現役の日本代表選手としては最長のキャリアを誇り、まさに日本代表の支柱と言える存在である。

リベンジを果たすはずの大会で、まさかの事故

 島川慎一、1975年熊本県生まれ。

 コートを離れれば島川の眼はとても優しく、口調も穏やかだ。しかし、人前で自分の事を語るのはかなり苦手な様子だ。自身を表現するのはあくまでもプレーヤーとして、コートの中ということなのかもしれない

 それでも重い口を開き、競技人生最大の負けを語っていただけた。

 「日本代表歴が13年にもなりますので、悔しい負けは何度も経験しているのですが……、試合の『負け』ということであれば、2012年のロンドン・パラリンピックになります。でも、そこに繋がるものが2011年の12月に行われた日本選手権にあります」

 「BLITZは2006年(この年は3月と12月に開催)大会から5連覇したのですが、2010年は決勝戦でOkinawa Hurricanesに敗れていたので、リベンジを果たそうとしていた大会でした。それなのに試合開始から約10分で右手の人差し指を切断してしまい、グローブの中に切れた指先が残ったまま搬送されました」

 ほんの一瞬の間だったのかもしれない。島川が右手を下にしていた時に他の選手のバンパ―が当たって事故に繋がった。代わりの選手がいない状態の中でチームはリベンジどころか8位まで成績を落とし大会を終えた。

 入院中の島川はチーム関係者数名とは会ったものの、面会は限られた人以外は基本的に断っていた。翌年に控えたロンドン・パラリンピックのことが気になり、焦りが募ったことと、気持ちの整理がつかなかったことがその理由である。

 治療方法の選択肢は3つ示された。

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