2024年4月20日(土)

オトナの教養 週末の一冊

2014年12月26日

 やはり、恐れていたことは起きた。毒餌を散布したラット島でハクトウワシやワシカモメなどが大量死したのである。採取された鳥の肝臓からは、毒餌による中毒の陽性反応が出た。

 一方、タスマニアの南東にあるマクォーリー島では25年前、野生生物保護官がネコの駆除に着手し、2000年に最後の1匹を殺し終えた。しかし、ネコがいなくなるとウサギが13万匹に増え、ネズミも急増した。2006年にはウサギが草を食い荒らした丘が、春の大雨のせいで崩れ落ち、下で営巣していた無数のペンギンを生き埋めにした。

 「世界中から非難が殺到し、人間が不器用な手で自然を操ろうとした結果だと罵られた」にもかかわらず、2010年、島の管理者たちは、ウサギとネズミに抗血液凝固剤の「爆撃をお見舞いした」。結果、400羽を下らない鳥が中毒死し、さらなる非難を招くことになった。

生態系は揺れ動き、移り変わるもの

 日本でも、外来生物の侵入による生態系のかく乱は、長年の懸案とされている。希少な種は保護されるべき貴重な種とされ、生息地の保護や隔離、人工繁殖などの手段が講じられてきた。

 ただ、ある時点の生態系を基準に、在来種=善、外来種=悪と単純に選り分けることには納得しかねる。長い目で見れば生態系は揺れ動き、移り変わるものではないだろうか。

 著者は、チャールズ・エルトンの1958年の著書『侵略の生態学』から、次の言葉を引きあいに出す。「現在、世界では、異なる地域から来た生物が混じりあったために、自然界の秩序が根底から覆されつつある。生物の個体数のバランスが大幅に変わるのを、わたしたちは目撃しているのだ」。

 そして、こう主張する。「エルトンがいちはやく警鐘を鳴らしたものの、今に至るまで、世界は在来種にとって少しも安全になっていない」。

 憂える著者にすれば、私は、事実に無頓着な傍観者にみえるだろう。「罠とフェンス」でつくりだしたサンクチュアリを自然保護の象徴とみるか否かは、個々の価値観による。

 詩人・金子みすずがうたったように、いわしの大漁は、浜の漁師には祭りであっても、海中のいわしにとっては弔いとなる。どちらに立つかで、まったく違う景色が見えるのである。

 守られるべき自然とは何か、生物多様性の価値とは何か。あらためて考えさせられる科学ノンフィクションである。

  
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