オトナの教養 週末の一冊

2014年12月29日

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本多カツヒロ (ほんだ・かつひろ)

ライター

1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/

 たとえば、来院した三歳ぐらいの子供と母親に対して、まず子供に遊ばせておいて、数分後、その部屋から母親に出ていってもらいます。すると、一般的に子供は泣き叫んだり、騒いだりして、母親がまた部屋に戻ってくれば、抱きついて甘えるという反応を示します。ところが、ある種の子供たちはそのような反応を示しません。母親が出ていっても、戻ってきても、無視して遊び続けるのです。しかし、そうした子供たちをビデオ撮影し、よく観察すると、母親が部屋から出ていくときには微妙に気にしているし、戻ってきた時にも微妙な態度の変化が見られます。そこに「甘えたくても甘えられない」心理が働いている、と小林さんは言うのです。

 この時期の子供は、無条件に受け容れてもらうことが必要であり、十分に甘えが享受されなければなりません。私の子育て論でも、こうした甘えが享受されてこそ、後に自由な主体が形成される、自由に行動する意志が培われる、と述べています。ところが、こうした「甘えたくても甘えられない」子供たちは、母親に甘えれば嫌われてしまうかもしれない、というような不安があるのかもしれません。

 このような不安は、子供が甘えて抱きついてきても、母親が素っ気ない態度をとる、といった状況によることもあるでしょう。ただ小林さんは、母親の育児だけに問題がある、と言いたいわけではありません。母親のほうもまた、子供に甘えてほしいと思いながらも、子供が甘えてこないので抱きしめるのを躊躇してしまう、という場合が多いのです。この悪循環は、母親と子供のどちらが先に原因を作ったかは問題ではありません。ちょっとしたボタンの掛け違いが生じただけかもしれないのですから。

 でも、だからこそ、この関係は十分に修復する可能性があるのです。そして、早い時期にこの修復がなされれば、後年、重度の精神障害に至ることもない。小林さんの理論は、こうした治療の可能性を示しているように思います。一般向けにわかりやすく書かれているので、是非読んでみてもらいたいですね。

――最後は『よくわからない「平成」という時代を考える」でご登場いただいた歴史社会学を専攻する鈴木洋仁氏。

『マラルメ詩集』(マラルメ 著、 渡辺守章 翻訳、岩波書店)

鈴木:2014年は、文学関係の本に大ベストセラーが見られませんでした。拙著『「平成」論』(青弓社)では、村上春樹ばかりが「文学」として取りざたされる、といった趣旨のことを書きました。しかし、彼の短編集は、もちろん非常に売れたとはいえ、それほどでもありませんでしたし、ノーベル文学賞も恒例のように受賞を逃しました。文庫本のコーナーに行けば、東野圭吾氏や、池井戸潤氏、百田尚樹氏の著作がかなりのスペースを占めていますから、文学=小説=東野氏(池井戸氏でも、百田氏でも)という人は、それなりの数にのぼるのでしょう。

 ただ、小説だけが文学ではない。そんな当たり前かもしれないことを、あらためて思い知らせてくれたのが、この『マラルメ詩集』(岩波文庫)です。難解で知られる、というより、いまやほとんど知られていない、19世紀フランス象徴主義の詩人・ステファヌ・マラルメ。その詩を厳かな日本語に置き換えた渡邊守章氏(東京大学名誉教授)の力業には感嘆するほかありません。『マラルメ全集』(筑摩書房)の完結も「事件」というほかない偉業でした。今回の新訳も、浅田彰氏(京都造形芸術大学大学院教授)が同書の帯に書き付けているように「これは事件だ」としか言いようのない出来事です。

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