2024年4月16日(火)

あの負けがあってこそ

2015年1月26日

 その世界選手権は韓国がアメリカを下し世界の頂点に立った。

 敗因を訊ねると、ひとこと「力不足です」と若き日の自分が、技術的にも精神的にも未熟だっただけと振り返る。

 世界選手権で日本は負けなしの歴史を積み上げてきた。それに汚点を残した者として、台湾大会以後、高鍋は後ろめたい気持ちに苛まれた。そのことで誰からも咎められたことはないが、「日本が負けたのは高鍋のせいだ……」と思われているような気がして、周囲の視線が突き刺さるように感じるようになった。そして人前で試合をすることすら怖くなったのである。

 その後行われた大会でも満足する結果を残せず、さらには6段の昇段審査にも落ちてしまった。もう一度日本代表に選ばれたいとは、とても思えなかった。世界選手権での負けが負のスパイラルとなってどん底の状態に陥った。

高鍋進さん

 そんな高鍋を救ったのは熊本に住む両親の温かさだった。

 「実家に帰ったときに、『好きで始めた剣道なのだから、もっと楽しんでやればいいんじゃないか。楽にいけ』と親父に言われたのです。両親に剣道の経験はありません。だから言えたのかもしれませんが、その言葉で少し楽になって、よし、また頑張るか。という気持ちに変わっていきました」

 高鍋が世界選手権の敗北から学んだものは大きかった。その最大のものは技術的な面で、決め技不足である。二つ目は団体戦を戦う戦略的な駆け引き、三つ目は対戦国の情報分析の大切さだった。

強みの「面」に偏り過ぎていた

 技術面での学びは、得意技に偏り過ぎていたことだ。高鍋には国内でも最速と自他ともに認める「面」がある。それまで高鍋自身「技が少ない」と思いながらも、その「面」の強みで実力が認められ日本代表にも選ばれた。しかし、その強すぎる「面」に偏り過ぎたことに最大の反省点を見出した。

 「面は身体能力に任せたような技ですので、年齢的なこともあって今のままではいけない、いずれ限界が来ると感じたのです。とは言っても、それまでのスタイルは小さい頃から培ってきたものなので、年齢が上がってから変えるのはとても難しく簡単にできることではありません。そこで元々のスタイルは崩さずに『小手』をプラスしようと考えました。それまでは偶発的に小手で決まることはあっても、相手をこう攻めて、こう崩してから小手で決めるというようなレベルにはなかったので、小手を面と同じレベルに達するまで磨く必要があると考えたのです。それからは小手技の上手い先輩や先生の動きやビデオを見たり、身長の似通った人を選んで、自分に合う、合わないなど時間を掛けて研究していきました」


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