病気で諦めた夢と新たな夢
日本代表にふさわしい選手を目指して

土田真由美さん (車椅子バスケットボール/ELFIN・シグマクシス所属)


大元よしき (たいげん・よしき)  ライター

1962年東京生まれ。外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆中。著書に『あの負けがあってこそ』『命のバトン―自閉症児と個性派不登校児の教室』『1万回の体当たり―タックルマン石塚武生 炎のメッセージ』(以上ウェッジ)、『一緒に見上げた空』(扶桑社)。

障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

世界最高峰の障害者スポーツ大会『パラリンピック』を目指すアスリートたちの「乗り越えてきた壁」に焦点を当て、スポーツの価値や意義を問うと共に障害者アスリートを取り巻く環境について取材していく。

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「2010年の世界選手権で初めて日本代表に選ばれた時は嬉しかったのですが、日本代表のユニフォームを着るということは、日の丸を背負うという重みがあります。嬉しかった反面、自分でいいのだろうか……。そんな思いもありました。でも、代表に選ばれたからにはそれに恥じない選手にならなければいけない。絶対になってやろうと決めました」

 以来、その思いを胸に自分が変わっていくことを自覚していった。

おてんばでスポーツ好き
厳しい門限と新聞配達

 土田真由美、車椅子バスケットボール日本代表。

土田真由美さん

 父親はラグビー、母親は陸上とバスケットボール。土田はスポーツが得意な両親に似て小さい頃から活発だった。小学生の頃はチャンバラが好きで棒を持って本棚からジャンプ! その拍子に蛍光灯を割ってしまい、自分もガラス片で怪我をして父親に叱られながら病院に運ばれるような、いわゆるおてんばだった。

 父親とキャッチボールをするのが好きで、学校ではバドミントンやバトン部にも所属していた。

 なぜかバドミントンのガットが2カ月に1度くらいの間隔で切れてしまい、そのたびにスポーツ店に連れて行ってもらっていたのだが、その頻度があまりにも多く、おてんばはここでも両親に叱られていた。

 「小学生の頃はバトミントンやバトンなどをやっていました。父親とキャッチボールをするくらいですから性格的には家でおとなしくしているタイプではありません。これっ! という特別好きなスポーツはないのですが、身体を動かすことが好きなので、いろいろなスポーツをほどほどにやっているような子でした」

 おてんばだった土田は、中学進学後は好きな運動部にも入らず、学校が終わるとまっすぐに家に帰っていた。スポーツが好きなのになぜ?

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「障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた」

著者

大元よしき(たいげん・よしき)

ライター

1962年東京生まれ。外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆中。著書に『あの負けがあってこそ』『命のバトン―自閉症児と個性派不登校児の教室』『1万回の体当たり―タックルマン石塚武生 炎のメッセージ』(以上ウェッジ)、『一緒に見上げた空』(扶桑社)。

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