障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2015年2月17日

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 その理由は厳しい門限にあった。

 「当時の門限が何時だったか憶えていないのですが、とにかく家が厳しくて部活に入るとその門限に間に合わないので入れなかったのです。どれほど厳しかったかというと、高校を卒業してからのことですが、6時半の門限に間に合いそうもなくて、『いま友達の家にいるから少し遅れます』と電話を入れたところ、『今から迎えに行く!』と父親に言われて、その時に物凄く怒られました。なので中学時代はもっと早い門限だったはずです。いったい何時だったのでしょうね(笑)」

自転車通学で鍛えられた高校時代

 おてんばだが箱入り娘だった土田も負けてはいない。その厳しい門限をかいくぐって抜け道を探した。

 「夜がダメなら、朝ならいいだろうと思って新聞配達をしました。その理由は家から少し離れたいな~という気持ちと、私が好きだった子がその新聞屋さんの息子さんだったから。アッハハ!」

 土田が中学生ということもあって、配達する新聞は毎朝土田家の前に届いた。それを自転車で各家に配り終えると仕事は終わりで、配達ミスがない限りは特別連絡を取ることがない。またアルバイト料も振り込みなので、新聞販売店に行くこともない。せっかく毎朝早起きしてガンバッテいるのに残念。その子に会う接点が何もなかった。

 「難しいですよね~、こういうのって。せめて向こうのお父さんと仲良くなるとかできたら良かったのですが、1度しかお会いしたことがないし、彼の家に行く機会なんかもまったくないし、そのまま1年くらい過ぎたので辞めてしまいました」

 「私が新聞配達から帰って来る時間になると父が家の前で立っていたので、やはり心配してくれていたんでしょうね」

 と明るく笑う土田である。

 青春とはいつの時代もちょっとせつない。

 さて、そんな土田が高校へ進学。なんと自転車で片道1時間半も掛かる高校を選んだ。

 「3年間、毎日自転車でひと山越えていましたので足が競輪選手のようにパンパンになりました。1年生の頃は片道1時間半も掛かった道程が、3年生になると最短で40分に縮まったのです。それが3年間の成果でした」

 この朝夕の山越えがアスリート土田真由美の基礎を作ったと言えそうだ。土田にとって高校時代はストイックにトレーニングに励んだ期間でもあった。

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