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大和魂の精神史―本居宣長から三島由紀夫へ
島内景二 著

目次 立ち読み

 

吉田松陰は、黒船に潜り込んで密出国をしようとして失敗し、江戸へ護送される途中、高輪の泉岳寺を過ぎるときにこんな歌を詠みました。
――かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂 
赤穂浪士を突き動かした衝動は自分と同じものだ、というわけです。
また、安政の大獄で囚われた際、獄中で門弟にしたためた遺書(「留魂録」)に松陰が書き付けた和歌「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」は、辞世の歌としてよく知られています。
では、松陰の行動原理である「大和魂」とは何なのでしょうか。
江戸時代の国文学者・本居宣長は『源氏物語』から「もののあはれ」という主題を取り出して、「漢意(からごころ)」に対する「大和心=大和魂」、それが「もののあはれ」であると論じました。「もののあはれ」とは、一般に「しみじみとした情趣」とされていますが、宣長のいう「もののあはれ」とは、それとは程遠い激しい感情を意味するものでした。吉田松陰の「やむにやまれぬ大和魂」もまた、そうした激情だったにちがいありません。
宣長は『源氏物語』の解釈を通して、ぬるま湯のような泰平の世の中をひっくり返す「ちゃぶ台返し」を仕掛けたのでした。
本書は『源氏物語』の研究者である著者が、「大和心=大和魂」の精神史をたどることで本居宣長という「大いなる謎」に真っ向から立ち向かった挑戦の書であり、従来のものの見方を痛烈に顚倒する爽快さにみちています。

<書籍データ>
◇四六判並製 264ページ
◇定価:本体1,600円+税
◇2015年3月23日発売
◇ISBN: 978-4-86310-143-2

<著者プロフィール>
島内景二(しまうち・けいじ)
1955年生れ。電気通信大学教授。『源氏物語』を中心とする古典文学専攻。主な著書に『源氏物語の影響史』(笠間書院)、『光源氏の人間関係』(ウェッジ文庫)を初めとする古典文学論、『文豪の古典力』(文春新書)、『歴史小説真剣勝負』(新人物往来社)などの評論、『北村季吟』『三島由紀夫』(ミネルヴァ書房)、『中島敦「山月記伝説」の真実』(文春新書)などの評伝、短歌論に『塚本邦雄』(笠間書院)ほか多数。
 

 

 

 

<立ち読み>

 

幕末の志士・吉田松陰に、大和魂を歌った和歌がある。安政の大獄に連座して江戸に送られた松陰が、死を目前にして書き記した『留魂録』の冒頭に記されている。

身ハたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置まし大和魂
(身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂)

「身はたとひ」は、「我が肉体は、たとえ……だとしても」という意味である。肉体は亡んでも、「魂=心」は残る。その心を理解してくれる友や弟子や後世の人がいれば、自分は永遠に生きることができる。大和魂は、そうやって、継承されてゆく。
松陰には、もう一首、有名な「大和魂」の和歌がある。

かくすればかくなるものと知りながら止むに止まれぬ大和魂

松陰は、下田に停泊中のペリーの旗艦ポーハタン号に乗り移り、海外への渡航を志したものの失敗し、江戸へ護送される。その途中、赤穂浪士の菩提寺である高輪の泉岳寺を過ぎる時に、詠んだ歌だとされる。
赤穂浪士(義士)たちを突き動かしていた衝動と、今の自分を駆り立てている衝動は、どちらも同じ「大和魂」だというのである。大石内蔵助たちは、討ち入りをすれば切腹になる結果はわかっていたが、「義」のために行動を起こした。今の自分も、失敗や身の破滅をかえりみず、自分を突き動かしている嵐のような情念の爆発に、我が身を任せてみた……。
しばしば、吉田松陰の思想の本質は「狂」の精神にある、と言われる。常識とか、身の保全とかをまったく顧みず、自らの信念と国家の大義のために命を燃やし尽くす。この「嵐」が、江戸幕府を倒し、明治維新を成し遂げたのだ。
この思想は、「犠牲」とか「献身」などの言葉には置き換えられない。松陰が唱えた「草莽崛起(そうもうくっき)」は、在野の名もなき人々の志が高まり、彼らが蹶起した時に、新しい時代の扉が開かれる、という思想である。このアジテーションが志士たちの心を突き動かしたのは、「大和魂=大和心」の感染力にほかならない。
松陰の刑死は、一八五九年十一月二十一日だが、直前の十月二十日、親族に当てた手紙「永訣の書」を認めている。その中に、次の和歌がある。

親思ふこゝろにまさる親ごゝろけふの音づれ何ときくらん
(親思ふ心に勝る親心今日の訪れ何と聞くらん)

「訪れ」は、手紙・便りの意味。この手紙を、親は、どんな思いで読まれることだろうかと、推定しているのである。「訪れ」には、到来という意味もある。親に届いた手紙には、松陰との死別の日が、昨日・今日にも到来しようとしていることが書き記されている。それを、どんな思いで、親は読まれるのだろうか。
子どもが親を思う心よりも、親が子を思う心の方が、ずっと深い。だから子どもは、親を悲しませたくはない。親孝行のためには、息子の自分も長生きして、思う存分に孝養を尽くしたい。けれども、「かくすればかくなるものと知りながら止むに止まれぬ大和魂」であり、自分は結果として親不孝者となった。この「大和魂」ゆえの最期を、家族には、ぜひともわかってほしい……。
 吉田松陰の「大和魂」は、尊王攘夷のために生命を燃焼させる、嵐のような情念だった。泉鏡花が、数えの二十二歳で発表した少年小説「大和心」は、野蛮な外国人(紅毛人)と戦う金沢の勇敢な少年と、彼の愛犬の姿を描いている。松陰の系譜に位置する「戦う大和魂=大和心」である。
ところで、「大和魂」という言葉は、古く『源氏物語』の少女巻にも見られる。光源氏の長男である夕霧が、学問に志す場面である。中国の漢詩文の知識に対して、日本的な心の用い方が必要で、それを紫式部は「大和魂」と言っている。
注意したいのは、紫式部は中国の儒教や漢詩文を否定したり、攻撃したりしていないことである。漢学と大和魂が調和するところに、理想の政治家が誕生すると言っている。外国文化と戦い、排斥するだけが、「大和魂」ではないのだ。
本来の「大和魂」は、異文化との調和を理想とする「異文化統合プログラム」であったのだ。
異文化統合と異文化排斥。その大きな精神史の分水嶺に位置するのが、本居宣長という思想家である。彼は、「もののあはれ」という文化理念を提唱したことで知られる。
ならば、「大和魂」「大和心」「もののあはれ」という三つの言葉は、深く連動しているはずだ。これから本書、大和魂の精神史をたどる旅に出たい。現代日本で再評価されている「武士道」や、グローバリゼーションの中で失われ射る日本文化の独自性について、きっと新たな発見が待ち受けていることだろう。


 




<目次>

はじめに  
第一章 「大和心」への旅
第二章 武器としての「もののあはれ」
第三章 和魂と荒魂
第四章 三島由紀夫の戦い
第五章 『徒然草』と「もののあはれ」
第六章 宣長が戦った源氏文化
第七章 宣長から近代へ
おわりに

 


 


 

 

 

 

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