「ひととき」特別企画

2015年4月1日

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西山厚 田中敦子 (筆者)

にしやま あつし/徳島県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。奈良国立博物館学芸部長として数々の特別展を企画、2014年4月より帝塚山大学文化創造学科教授に。日本の歴史・思想・文学・美術を総合的に見つめ、書き、生きた言葉で語る活動を続けている。著書に『仏教発見!』(講談社現代新書)、『僧侶の書』(至文堂)などがある。

たなか あつこ/東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。工芸、きもの、伝統文化を中心に、書き手、伝え手として活動。著書に『きもの自分流─リアルクローズ─入門』(小学館)、『もののみごと』(講談社)など。最新刊は『更紗 美しいテキスタイルデザインとその染色技法』(誠文堂新光社)。

和歌山県北東部に位置する高野山は、平安初期の僧、空海によって開かれた、日本仏教の一大聖地です。弘仁7年(816)、空海は嵯峨天皇に願い、高野山を賜り、七里四方に結界しました。空海は、なぜ1000メートル級の峰々に取り囲まれた山上盆地に、密教修禅の道場を開いたのでしょうか。日本仏教史の研究者、西山厚さんとともに、開創から1200年を迎える聖地高野山をめぐり、空海の祈りの心を探ります。

高野山は、紀伊山地北部の山々の総称。古来、神々が鎮まる特別な場所として信仰され、熊野三山・吉野・大峯とともに「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産に登録されている

空海の姿を追って、まずは参詣道の入り口にあたる九度山(くどやま)へ。中腹の天野(あまの)には、高野山の地主神がおわしました。

 狼の上で狐が踊る図柄で知られる棟方志功の『狐狼の柵』は、歌人・吉井勇の歌から想を得た連作のひとつで、歌も刻まれている。

夕ざれば狩場明神(かりばみょうじん)あらはれむ
山深うして犬の聲(こえ)する

 狩場明神、またの名を高野明神。高野山と弘法大師・空海の縁を結んだ神様だ。歌は、高野山の開創伝承にのっとり、空海と明神が出会う場面をありありと伝える。

 讃岐国出身の名もなき留学生(るがくしょう)として唐に渡り、真言密教の奥義を獲得した空海。20年の任期を2年に繰り上げての帰国後は、天の時を得て、たちまち存在感を増し、嵯峨(さが)天皇の篤い庇護を受けることになる。精力的な布教や著述、また治水灌漑などの社会事業を進め、あまたの超人伝説を残すその一方で、密教修行にふさわしい霊場を探し求めていた。

 大和から紀伊まで広く山野を巡った空海は、ある日、大和国宇智(うち)郡の山中で、2頭の犬を従えた猟師と出会う。この猟師こそが狩場明神の化身で、空海を高野山中腹の天野(あまの)へと導いていく。天野におわしたのは丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)(丹生明神)。高野山一帯を支配する神様で、その神領を空海は借り受けたのだった。

 言い伝えは、同工異曲に多々あるが、つまりは、そもそも地主神信仰があった高野山を、真言密教の霊場にしたと暗示する。神があり仏がある。日本古来の神仏習合物語だ。

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