WEDGE REPORT

2009年8月13日

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 そのうちの一人、今村利郎さん(42歳)は、「結果的にこの活動を通して本業(会社員)のほうでも積極的になれたと思います」と話す一方で、「こうした活動でもなければ、パチンコなんかで暇をつぶしていただけですから」という。それでも、同じサラリーマン同士として今村さんすごいなぁ、と唸ってしまう。週2回ペースで仕事帰りの夜9時あたりから土着菌の攪拌を行ったり、休日も活動に参加したりする。「休みたくないですか?」という私の問いには、穏やかな笑顔で否定された。それが、私の知らない充足感というものなのだろう。こうしたリーダー作りを全国へ広げようと「故郷創生塾」という取り組みもはじめて、すでに5回を数える。参加者は、自治体関係者を中心にいつも盛況だ。さらには、韓国からも注目されている。テグ市のホテル経営者がやねだんの活動に感動して、ホテルでやねだんの商品を販売したり、レストランでやねだんの焼酎を村久木さんの陶器で出すという。

笑顔の裏に隠された辛い経験

豊重哲郎さん(右)と、今村利郎さん(左)

 柔和な笑顔で、いきいきと語ってくれた豊重さん。04年にはガンも患ったが、いまでは元気に回復されている。取材後、豊重さんに直接聞けなかった話をいただいたDVD『やねだん~人口300人、ボーナスが出る集落~』(MBC南日本放送)を見て知った。

 豊重さんは、高校卒業後大学進学を志したが、家庭の経済的事情で進学を断念した。それでも豊重さんは、東京の銀行に就職した。だが、待っていたのは、「学歴差別」だった。「高卒はこれだけ」という限られた仕事を忸怩たる思いで続け、豊重さんは東京を去った。

 私は、豊重さんのあの笑顔の裏にこんな辛い経験があったのかと、愕然とした。悲しかった。そして、安易に大学に行き、いまノウノウと働いている自分が恥ずかしくなった。大きな悲しさ、苦しみを味わったからこそできる笑顔だったと知った。

 その後、柳谷に帰り、豊重さんは「がむしゃら」に働いた。そして、うなぎ養殖など事業を成功させ、地域では地元の中学校のバレーボールの監督を 20年間務めた。そのがむしゃらさは、「その気になれば何だってやれる」という怒りにも似た思いだったのではないだろうか。私には、そうした経験をやねだんの活動を通して、皆に知らせようとしたように見える。「なんだってやれる」ことを、皆の先頭に立って行動し、成功させて見せてきた。豊重さんの後に付いて行った人たちは、「やればできた」と実感し、それを皆で共有することで感動したはずだ。その感動が、また次の行動を生むという循環がやねだんにできたのだ。

都会でも同じような取り組みはできる

 インタビュー途中、豊重さんと今村さんが雑談をはじめた。といっても、集落の話。中学生の女の子が、薩摩半島から大隈半島の柳谷までぐるっと 190キロ親と一緒に自転車で走った。中学生が戻る時間が近づくと、豊重さんは有線放送でこのことを伝えた。すると、高齢者二人が運動遊園に「そんな元気な子の顔をひと目見たい」とやってきたという。なんとも楽しそうに豊重さんと今村さんは話をしていた。これが、豊重さんのいう「快話」なのだ。会話とは楽しむこと。

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