都会に根を張る一店舗主義

2015年6月10日

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手前のブロンズは、TVチャンピオンの巻き寿司部門の優勝トロフィー

 「でも、どうせ寿司屋をやるなら、日本一の寿司屋になりたいと思った。だから、22歳で別の店で修業して、5年後には、日本中でいろんなコンクールに出まくりですよ。自分で言うのもなんですが、手が早かったんですね」

 同時に勉強しなければ、と各地の名だたる寿司屋を食べ歩いた。25才でフグの調理免許も取得。店の片隅には、TVチャンピオンだけでなく、トロフィーがずらりと並ぶ。そして、今では、すし料理専門調理師の審査員、4年に一度のすしコンクールの役員として、錚々たる大御所たちと肩を並べている。

 その後、区画整理でしばらく営業できなかったのをきっかけに、アメリカに留学。これも一つの転機となった。知人の紹介で、アメリカのテネシー州の寿司屋で一年ほど働く。

 「ナッシュビルといって、日本人のいないところで働きましたからね。よかったのは、まず英語を覚えたこと。それとコミュニケーションの力かな。寿司屋のカウンターでの会話って、アメリカも日本も同じなんです。今日のゴルフはどうだったとか、お前、カリフォルニアロールは作れるか、とか」

 アメリカには、その頃から独自の巻き寿司が定着しており、世界における寿司の新しい可能性も体感することができた。

 その後、大学のゼミの友人を介し、奥さんの嘉子さんと出会う。

 外資系企業で秘書をしていた嘉子さんは、短大を出た後、アメリカに留学、アメリカの大学で心理学を学んだ秀才。店のサイトの英文も二人で仕上げた。

 弟子の目黒さんは22歳、秋田県出身、子供の頃は、サッカーに明け暮れ、実家も飲食業とは無縁だったが、小さい頃から寿司が大好きだった。

 「今、料理学校でも、和食を専攻する子が少ないんです、厳しいというイメージが強いのか。イタリアンとか、パティシエばかり人気だそうです」

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