イノベーションの風を読む

2015年6月18日

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川手恭輔 (かわて・きょうすけ)

コンセプトデザイン・サイエンティスト

1990年代から、大手メーカーでインターネットサービスの企画・開発・運用を手がけ、自ら立案したグローバルなサービスを複数立ち上げた経験を持つ。その1つは、サービスのデザインでグッドデザイン賞を受賞した。コンピューターサイエンス関連の翻訳本も多数ある。

 15年ぐらい前から、そのころに美大に入学した身内の影響もあって、それまでまったく興味のなかった美術に少し興味を持つようになった。仕事でひとりで海外に行く機会が増え、同じ街をなんども訪れ、観光名所などを一通り巡ってしまうと、休日などの空いた時間は、美術館で開館時間から昼過ぎまで時間をつぶして、夕刻からパブやカフェでワインやビールを飲みながら仕事をして過ごすようになった。はじめのうちは、ガイドブックで「必見」とされている絵画や彫刻などをまわって、気に入った絵の前のベンチに腰をかけて眺めるだけだった。

「雨、蒸気、速度 グレート・ウエスタン鉄道」(Aflo)

 あるとき、放送が始まったばかりの「美の巨人たち」というテレビ番組で、ターナーの「雨、蒸気、速度ーグレート・ウエスタン鉄道」という一枚の絵の特集を見た。作家のターナーはイギリスを代表するロマン主義の風景作家であるが、それまで作品はおろか名前も聞いたことがなかった。番組はその絵の描かれた時代や作家の歴史やエピソードなどを詳しく解説してくれる。テムズ川にかかる橋を渡る機関車が、雨と機関車のはき出す蒸気が混じった独特の大気感の中に描かれている。そして絵の中には、その蒸気機関車の前を必死で逃げていく野うさぎがいるという。テレビでアップで映されても、それが野うさぎだとは思えない。もちろん、知らずに絵をみても絶対に気付かないだろう。

鼻が触れるほど近寄ってみると
確かに野うさぎが見える

 その放送から3カ月ほど後に、仕事でロンドンを訪れた。早速(休日に)ロンドン・ナショナル・ギャラリーに行き、ターナーの絵の前に直行した。ロンドンの国立の美術館や博物館は基本的に入場は無料で、膨大な美術品をガラスケースなどに遮られることなく生で見ることができ、写真の撮影も自由だった。最近では、センサーなどが設置されて、鼻が触れるほど近寄って見ようとすると警報がなって係員に「離れろ」と注意されてしまう。パリなどの美術館でも写真撮影がNGになってしまったところも多い。

 果たして、鼻が触れるほど近寄ってみて見ると、確かに野うさぎ(のようなもの)が描かれていた。変な目で見ていた老夫婦に「野うさぎがいますよ、知ってますか?」と言うと、同じように鼻を近づけて見て「ほんとうだ」と笑っていた。

 その後は、出張が決まると、その街の美術館に展示されている絵について少しだけ勉強してゆくようになり、高じて出張の機会がない欧州の街に美大に通う身内を伴って旅行し、美術館巡りをするまでになってしまった。

 美術に限らず、たとえばスポーツなどでも、そのルールやチームや選手、そしてその歴史などのエピソードに触れる機会があると、それまでまったく興味のなかったものに、急にのめり込んでしまうことがある。そして往々にして、最初に理解したチームや選手のファンになることが多い。

 ルネッサンスとその少し前から、イタリアのマニエリスム、バロック、新古典主義、写実主義、そして多くの「なんとか派」を経て、キュビズムや抽象派、シュルレアリズムから20世紀表現主義あたりまでは、順不同ではあったが、落ち着いた気持ちで接することができた。しかし、モンドリアンやポロックあたりから怪しくなり、それ以降の近代アートの前では、なんとなく居心地が悪い。見ている自分が気になってしょうがないのだ。人の目が気になるというのではなく、いたたまれない気持ちになって立ち去るしかない。その立ち去る瞬間が、どうにもばつが悪いのだ。

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